(大紀元)

東京中野区中国人留学生刺殺事件 助かった親友の行動に中国で批判噴出

昨年11月3日深夜、東京都中野区のアパートで中国人女子留学生の江歌さん(当時24)がルームメートの元交際相手だった中国人留学生の陳世峰被告に刺殺された事件があった。中国国内では現在、犯行当時の状況や遺族への対応をめぐって、ルームメートの劉鑫さんとその家族を非難する議論が巻き起こっている。中国紙・新京報がこのほど報じた。

山東省青島市即墨市の出身で母子家庭で育った江さんは2015年日本に留学。母親は自宅立ち退きの補償金を留学費用に充てた。1年間の日本語学校を経て法政大学大学院に入学。劉さんとは同郷で親友だった。2016年、同棲していた交際相手の陳世峰被告と別れた劉さんが江さんの自宅アパートに転居。陳被告は当時、度々アパートに押し掛けるなど劉さんに付きまとっていた。江さんはいつも2人の間に入り、陳被告を説得していた。

犯行当日の深夜、陳被告から脅迫メールが届いたため、劉さんは駅で江さんと待ち合わせして一緒に帰宅。アパートの外で待ち伏せしていた被告が2人に襲いかかった。江さんは玄関ドアの外でメッタ刺しされて死亡したが、家の中に逃げ込んだ劉さんは無事だった。

劉さんは自身の通報で現場に駆け付けた警察に対し、当初、犯人は元交際相手であることを伏せていたと伝えられた(陳被告は犯行数日後に逮捕された)。

東京都中野区のマンションで、中国人女性・江歌さんが友人の元交際相手に殺害された。葬儀にも参列せず、友人と家族が事件についての言及を避けているため、批判が起きている(大紀元作成)

劉さんの母親は事件翌日、同じ市内にいる江さん宅を訪れ、娘の無事を確認すると、悲しみに暮れた江さんの母親を慰める言葉をかけることなく、さっさと帰っていった。そして自宅を引越し、電話番号を変え、江さんの母親の連絡先をブラックリストに入れるなど、二度と姿を見せなかった。劉さん自身も江さんの母親との連絡を絶ち、江さんの葬式にも参列しなかった。

劉さん一家の行方を捜すために、地元でビラを配った江さんの母親に対し、劉さんは「これ以上騒ぎ立てるなら、(陳被告の刑事裁判に)証人として証言しない」「警察の捜査に協力しない」と脅し、劉さんの母親は電話で「お宅の娘の死はウチと関係がない」「彼女は薄命だった」などと吐き捨てた。

「娘が殺害された当時の状況を知りたいだけ」と悲しみと怒りに浸る江さんの母親は、劉さん一家のこうした発言の録音・SNS通信記録をインターネットで公開した。

その後、ビラを見た市民が劉さん一家の転居先を教えてくれ、新京報が今年8月劉さん一家に取材を申し込んだ。圧力を感じたのか、劉さんは事件後、初めて江さんの母親と対面した。そしてカメラの前で、劉さんははじめて謝罪の言葉を口にした。事件から10カ月が過ぎたときのことだった。

 

日本の警察当局に協力し、来日した江さんの母親の世話役をつとめているという在日中国人のジャーナリストの男性が微博(中国版ツイッター)で、内部捜査資料を閲覧したとし、「犯人の供述が事実なら、劉さんは江さんの死に重大な責任を負う」「犯行当時の劉さんが取った行動は断じて許されるものではない」と書き込んだ。

江さんが襲われたときに、先に家の中に逃げ込んだ劉さんが中から施錠し、江さん一人を屋外に残し、見殺しにしたという情報がある。

「当時、劉さんが鍵をかけたかどうか」が議論の争点となっている。新京報の報道によると、劉さんは取材で「かけていない」、日本の警察に対しては「よく覚えていない」と話した。

劉さんが江さんを見殺しにしたと立証できたとしても、刑事責任を問われることはない。中国のインターネット上では、劉さんと家族の対応を糾弾し、「冷血無情」「恩義知らず」「人間の道を踏み外している」などコメントが殺到している。

いっぽう、殺人容疑で起訴された陳被告の初公判は12月11日に開かれる予定。江さんの母親は中国国内で被告の死刑判決を求める署名活動を起こし、現時点で署名数が150万人分を超えた。最近来日した江さんの母親は池袋駅付近でも署名活動を行っている。

母親の代理人、大江洋平弁護士は中国メディアの取材に対し「署名活動は判決に影響することはない」と述べた。日本の法律では陳被告が死刑になる可能性は低いとみられる。 

(翻訳編集・叶清)

 

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