なぜ法輪功は迫害されたのか 4.25陳情をふり返る
1999年4月25日、中国、北京の中南海で中国の社会を揺さぶる出来事が起きた。一万人を上回る法輪功の愛好者が中南海にある府右街陳情オフィスを訪れ、集団陳情を行った「4.25中南海陳情事件」である。事態は朱鎔基首相(当時)が自ら愛好者の代表と会見し、平和的に解決されたかにみえた。しかしその3カ月後、当時の国家首席江沢民は「法輪功迫害」を断行し、その迫害は今なお続いている。
当局にも推奨されていた法輪功
中国の伝統修煉法である法輪功は、1992年5月、李洪志氏により創始された。当時、中国社会では既に気功ブームが起きており、国民が気功で身体を鍛えることはごく一般的であった。多くの気功法の中でも法輪功は動作も容易で学びやすく、心身の健康へ効果も良いことから、国民の圧倒的な支持を獲得し、一般庶民から政府高官や軍の関係者も含めて、学ぶ人が爆発的に増えた。
中国各部委(日本の省に当たる)の中にも法輪功を勉強する人があらわれ、法輪功の著書を読んだことのある政治局員は高層幹部にまで及び、江沢民氏を含めて当時の中央政治局の委員7人とその夫人も、法輪功を勉強したことがあったと言われている。
一方、中国共産党内では、党が主張する唯物論と相反する法輪功に対して、党内の研究機関から批判の声が絶えず上がっていた。それを受け、1998年5月、気功団体を管轄する国家体育総局は広東省で法輪功の効果について調査を行った。1万2553人の法輪功学習者を対象にした調査の結果、法輪功の学習による病気治療と健康維持の有効性は97.9%の人に認められた。人民大会委員長だった乔石氏ら高層幹部は、当時公安部が法輪功学習者を干渉することについて、江沢民を含めた政治局に対して、調査報告と合わせて「法輪功は百利あって一害なし」と進言したという。
平和的に解決した4.25陳情
事件の発端は、陳情事件が起こる2日前、23日、中国の物理学者・何祚庥(ホー・ツォシュウ)が天津師範大学の出版物に、「法輪功を学んだ知人が精神に異常をきたした」という内容の文章を発表したことだった。天津の法輪功愛好者らが事実を伝え、訂正を求めようとしたところ、天津市は急に特殊警察300人を出動させ、自発的に編集部に出向かい事実を説明する法輪功学習者45人を殴打し、逮捕した。不当拘束された45人の釈放について、天津の警察当局は「北京への陳情」を助言している。25日早朝、北京の中南海近くの陳情局に着いた法輪功学習者数は1万人に及んだ。
朱鎔基首相(当時)は、自ら中南海から出て、法輪功学習者に対して、「信仰の自由があるのは当然だ。法輪功の代表者は私と共に、館内に入って話をしよう」と穏やかに対応したという。そして拘束された学習者たちを釈放してほしい、という代表の要求に、朱氏はすぐさま天津当局に釈放の指示を出した。
拘束されていた法輪功学習者たちの解放措置を知った中南海の学習者たちは、警官が投げ捨てたタバコの吸殻も含めて、陳情局の周囲を自主的にきれいに掃除してその場から静かに立ち去ったという。
海外メディアは、法輪功学習者と朱首相の間の対応に、大変驚いた。そして中共政権創立以来初の官民の間の平和な対話として、法輪功学習者の「平和と理性」や、政府の「開明」を称賛した。
江沢民、法輪功迫害断行へ
しかしその夜、江沢民国家主席(当時)は政治局委員7人全員に、「われわれ共産党員が持っているマルクス主義論や、われわれが信じる唯物論と無神論は、法輪功が唱えるものに勝てないのか」と問い詰めた。
ほかの政治局委員6人は法輪功弾圧について反対の意見を出した。特に朱首相は江主席に向かって、「現在リストラされた労働者はかなりおり、法輪功を学ぶことで健康維持とモラル向上が出来るのなら、政府は支持してもいいのではないか。学習者は主に中高年者で健康維持は一番の望みだ。彼らに政治目的があるなんて考えられない。私たちは再び政治運動のやり方で思想問題を解決すべきではない」と述べたという。この発言に江主席は怒りのあまり、朱首相を指さすと「愚かしい!愚かしい!亡党亡国だ!」と叫び、「法輪功はわれわれと人心を争っており、これは政治問題と見なすべきだ!共産党と国の生死にかかる問題と見なすべきだ!」と叱ったという。江氏のあまりのヒステリー振りに、ほかの政治局員は、口をつぐんでしまったという。
6月には法輪功弾圧のための超法規的組織「610弁公室」が設置され、同年7月20日、当局は、法輪功学習者の摘発をはじめた。莫大(ばくだい)な資金を注入し、数百万とされる法輪功学習者を逮捕、投獄し、過酷な刑務所労働を強制した。ある者は残酷な肉体的・精神的拷問を受け、ある者は臓器を奪われ死に至り、またある者は社会的苦痛を受け、家庭は崩壊した。
違う選択はなかったのか
もともと江主席は6.4天安門事件の危機に際して、学生を積極的に弾圧するよう意見したことで、鄧小平氏から総書記の要職を与えられた経緯がある。党内、民衆からの人気や、実務能力とも朱首相に及ばない江主席が6.4事件10周年目に群衆事件が再来するのを恐れ、法輪功弾圧によって党内での権威を強めようとしたとも言われている。
もしこの時、江首席が迫害を断行せず、朱首相が出した路線をとっていたならば、中国で民衆の信仰の自由が実現でき、秩序のある社会の構築に貢献できたかもしれない。しかし不幸なことにそれはなされなかった。「4.25中南海陳情事件」はその意味で歴史的な分岐点だったといえる。それ以降、中国では当局への不信で、著しい道徳の喪失や汚職幹部の跋扈(はびこり)など社会が混乱を極めている。対応を間違えなければ、それは避けられたかもしれない。
迫害は今もなお続いている。法輪功愛好者は、真実を伝え、迫害の停止を呼びかける活動を国内外で展開している。現在、この活動は世界中で多くの支持を得るようになった。2006年1月までに、全世界30カ国で35人の弁護士より「江沢民を審判する全世界大連合」が結成され、16カ国で江氏への提訴がなされている。
江沢民がもらした生涯後悔する大失策
19年前の決断に、江氏は後悔を漏らしている。香港の政治月刊誌『前哨』の2011年2月号に『江沢民が生涯後悔している二つの大失策』という記事の中で、江沢民が自ら下した二つの決断について一生後悔していると側近にもらしたと言及された。その一つは、「米軍のユーゴスラビア爆撃時、中国大使館に対し避難せず、いつも通り運営するようにという命令を下したこと」、そしてもう一つが「法輪功の弾圧。それにより1億人余りの学習者を敵に回した」ことだという。
(大紀元日本語ウェブ編集部)