「真善忍」修める人への弾圧 中南海1万人陳情 その1

2012/04/27 更新: 2023/04/24

【大紀元日本4月27日】1999年4月25日北京、法輪功学習者1万人による「4.25陳情」が行われた。国内外を驚かせたこの出来事の真相を、中共政権はいまだ隠している。この「4.25陳情」は依然としてネット検閲の対象となっており、市民は関連情報を知ることはできない。

この日、1万人あまりの法輪功学習者は全国各地から北京国務院の「信訪弁公室」(中央の陳情受付機関)に訪れて、平和な陳情活動を行った。早朝から夜までの10数時間、一切の暴力行為、シュプレヒコールもなく、現場のゴミも綺麗に片づけられたという。

そして、中共政権の数10年の独裁統治の歴史において、朱鎔基総理(当時)が学習者の代表者と面会し、その訴えを聞いたという前例のない官民の対話が実現した。当時、法輪功に対する措置であった書籍発行禁止や拘束された学習者の釈放など、一連の問題は一旦解決したと思われた。

この日、当時の江沢民国家主席の専用車は中南海(最高指導部の所在地)の周りをグルグルと回った。江氏自身も監視カメラの映像を通して、1万人あまりの法輪功学習者の姿を目の当たりにした。その整然とした様子に江氏は大変驚いた。彼らが瞬く間に全国各地から集まったこと、その毅然とした態度など、これらすべてのことに対して江氏は強い恐怖、ショックを覚えた。

あの日の現場の風景は、江氏の脳裏に焼き付いた。江氏は「法輪功を根絶させる」と決めた。

この日は、「真・善・忍」を修める法輪功学習者への弾圧という江氏の企みの序幕となった。それから10数年間、江沢民派が中共政権のすべての国家資源、莫大な国家財政を費やして、法輪功学習者を残虐に弾圧し続けた。

「4.25陳情」13周年記念日において、私たちは過去を振り返って、この重大事件の真相をもっと多くの人々に伝えたい。この13年間、法輪功は江沢民派に消滅されるどころか、世界各地にまで広がっている。その理由は何か。

「科学界のならず者」何祚庥氏は弾圧を誘発したキーマン

1999年4月11日、天津教育学院の雑誌は「私は青少年が気功を学習することに賛成しない」と題する文章を掲載した。作者は何祚庥氏、中共中央政法委の当時のトップ羅幹氏の妻の義弟だ。学術研究を行わず、人を踏み台にしてまで出世を計る中国科学院のいわゆる院士である同氏。学術界では多くの人に軽蔑されて「科学界のならず者」と呼ばれていた。彼は科学者の前では哲学者に変貌、政治家の前では科学者と偽る。その一番の得意技は、意識形態の角度から真の科学を否定すること。

何氏の悪事は数え切れないほど多い。1955年、北京市の伝統的建築物の保存について、当時の毛沢東国家主席は取り壊しを主張するのに対して、有名な建築学者、清華大学の梁思成・教授は「保護すべき」と訴えていた。

当時中央宣伝部にいた何祚庥氏はこの絶好のチャンスを見逃すはずもない。氏はすぐに梁思成氏を批判する文章を書き上げ、「梁氏の建築の理論は、党の総路線と背反し、間違っている」と攻撃に出た。すると、梁思成氏は反省を強いられて、歴史的建造物は強制的に取壊されて、数100年前の北京の姿が消された。

1998年、中国共産党の機関紙「人民日報」はある文章を掲載して、「創造的マルクス主義の立場や、観点、方法を徐々に理解できた人物だ」と何氏を讃えた。煽られた何氏はマルクスレーニン主義を用いて米国の生物学者ヘンリー・モルガン氏や、ノーベル物理学賞の受賞者マレー・ゲルマン氏を痛烈に批判しはじめた。何氏が真の科学を攻撃し、中共のイデオロギー宣伝に役立っているため、中国共産党の機関誌『紅旗』は彼を中国科学院の院士の座に押し上げた。

晩年の何氏は批判の矛先を気功に当て、気功を「偽科学」と称した。当時、法輪功の愛好者が急激に増えていったことは、その神経を逆なでしたようで、捏造した根拠を用いて次々に論文を発表、法輪功を攻撃しはじめた。

1999年2月、米国の有力誌「米国のニュースおよび世界のリポート(US News and World Report)」は文章を発表して、法輪功の著しい健康効果を論じ、当時の中国国家体育総局の局長の次の発言を引用した。「法輪功とその他の気功愛好者は健康が改善されたため、一人あたり平均で年間1千元(約1.3万円)の治療代を節約できる。もし愛好者が1億人であれば、年間1千億元を節約できる。朱鎔基総理はこのことを喜んでいる。国はこの金をより合理的に使用する」。

罪を決めてから、証拠を捏造する 羅幹氏が法輪功に濡れ衣

何氏の攻撃文章に対して、法輪功学習者たちはメディアに対して自らの実体験を説明、何氏の説示は事実無根だと説き続けた。それにより、何氏は北京で法輪功を誹謗中傷する文章をしづらくなった。諦めきれない何氏は、今度は天津市で暗躍し始めた。そして、「法輪功を習えば精神異常に陥り、ひいては国を滅亡させてしまう」などと市民を扇ぎ立てる文章を出した。

天津市在住の多くの法輪功学習者は、この文章は事実無根で、世論を扇動するものと危惧し、数千人の学習者は一連の文章を掲載した新聞社や出版社をを訪れ、事情説明を行った。

双方は友好的に意見の交換が行えたという。編集部も修正の声明を発表しようとしたその矢先、4月23日、天津市は突然300人あまりの警官隊を出動させ、45人の学習者を逮捕した。天津市政府は「この逮捕は最高指導部の命令」と陳情する他の学習者に対して説明し、北京に行き陳情するよう促した。

学習者を逮捕した天津市警察当局の当時の行為は、中共中央政法委の書記(当時)羅幹氏の意向を反映したものとされている。公安、警察、検察、司法、諜報などを主管する中央政法委のトップとして、羅幹氏はその数年前から、法輪功を弾圧するために、ずっと口実を探り続けていた。

実際のところ、法輪功を収めることで得られる道徳の向上著しい身心の健康効果は、すでに当時の中国国内で知れ渡っていた。江沢民国家主席を含む最高指導部もそのことを理解しているだけではなく、中央政治局常務委員たちの家族も習っており、周りもこのことを知っていた。

1996年を前に、北京市紫竹院地区在住の一人の学習者は要請を受けて江沢民氏の自宅でその妻の王治坪氏に法輪功を教えていた。法輪功にはいかなる秘密もなく、すべてがオープンだ。学習者の社会的地位などをもまったく問わない。たかが数10年の人生、だれもが健康な体を望んでおり、真善忍に基づいた教えを嫌う人は、さほどいないはずだ。

当時の北京では、法輪功を教える各場所では、中央政府機関の現職の高官や、定年退職した元高官が多くいた。その経歴、官職のレベルを問わず、李洪志氏が説いた奥深い理論に皆が感服した。しかし、暴力の歴史を築いた中共にとって、特に中央政法委のトップである羅幹氏らは、法輪功の愛好者がわずか数年間で1億人に達したことに、日々強い不安を抱き、全国範囲で監視を始めていた。

1996年、中央宣伝部(略称・中宣部)のトップである徐光春氏は、中共の機関紙10社の編集長を召集して会議を開いた。その席で、『光明日報』に法輪功を誹謗中傷する文章の掲載を命じ、その他の各紙には転載を義務づけた。そして、中宣部が管轄する新聞出版署は全国各省・市の新聞出版局に内部通達を下し、「迷信を宣伝している」との理由で、法輪功の書籍『転法輪』『中国法輪功』などの出版禁止を命じた。これらの書籍は当時、北京市の書籍売上トップ10に入っていた。徐光春氏は自分の政治生命のため、当初から法輪功に「浅はかで大雑把な邪教」との濡れ衣を用意していた。

1997年初め、羅幹氏は、法輪功を「邪教」と決め付けるため、公安部に全国範囲での証拠収集を命じた。しかし、各地の公安当局は、相次ぎ「問題を発見できなかった」と中央に報告した。それにも関わらず、1998年7月公安部一局は「法輪功への調査を展開する通知」を出し、法輪功を「邪教」と断定し、「犯罪の証拠」を探るよう命じた。

当時、公安や諜報機関のスパイは法輪功を習うと装って、続々と法輪功の内部に潜伏した。この人たちは学習者と一緒に『転法輪』を読んだりもしていた。しかし、まもなく彼らは、法輪功には秘密がないこと、そしてすべての活動がオープンにされていることを気付いた。しかも、参加は完全自由で、名簿リストもなければ、会費もない。多くのスパイは法輪功への認識が深まった後、正真正銘の修練する人となった。羅幹氏は、各地の公安当局が、法輪功の「犯罪証拠」をまったく発見できなかったことに酷く落胆した。

羅幹氏を悩ませるもう一つのことは、気功組織を主管する公安部の幹部の多くは気功の知識をもっており、気功を習っている人も少なくない。そのような状況下、1996年、羅幹氏は公安部の人事を練り直して、気功の知識を持つ幹部全員を異動させた。

こうして、法輪功弾圧への準備は着々と進められた。

当時、最高指導部には大量の嘆願書が寄せられて、公安当局が法輪功とその学習者を不当に扱っていると訴えていた。それを受けて、1998年下半期、喬石氏を筆頭に中共政権の長老たちは、法輪功を詳細に調査・研究した。そして、「法輪功は国および民衆にとって、百利あって一害なし」との結論を下し、当年年末に中央政治局に調査報告書を提出した。

(つづく)

(翻訳・叶子)

韋拓
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