自らを律することを第一とした名君
中国の唐の時代は中国史上でも最も栄えた時代の一つである。中国史上、屈指の名君として名高い唐太宗は為政者として自らを厳しく律して政治にあたり、太宗の治世は「貞観の治」と呼ばれ中国史上最も良く国内が治まった時代とされている。『貞観政要』は唐太宗と太宗を補佐した名臣との政治問答集で、日本では徳川家康が非常に愛好していたのをはじめ、数々の為政者が『貞観政要』から為政者はどうあるべきかを学んでいる。
貞観の初め、唐太宗は侍臣に言った。「王である者、まず人々の生活が安定するように心がけなければならない。王が人々のものを絞り上げて自分に捧(ささ)げさせても、自分の股の肉を切り取って食べるようなものだ。腹一杯になったときには身体がもたなくなっている。天下の安泰をねがうならば、まず自らを正さなければならない」
「身の破滅を招くのは外因ではない。みな自分の欲望が破滅を呼ぶ。いつも美食にふけり音楽や女色に心奪われ悦ぶならば、欲望はますますふくらみ災いも大きい。政事は妨げられ人々は乱される。そのうえ、ひとつでも君主が道理に合わないことを言えば、人々は勝手きままになり、怨嗟(えんさ・うらみなげくこと)の声もあがり、反乱が起きるだろう。これらのことを常に考え、自らを戒めている」
すると諌議大夫の魏徴が答えた。
「古代の堯、舜といった先賢の帝は、いつもそのように自らを律し、そのため世は安泰でした。かつて楚の荘王は賢人を招いてよく国を治めるには何が必要かをたずねたところ、まず自らを正すことだと答えました。賢者は「王が自らを正していて、国が乱れたということは聞いたことがない」と答えただけでした。陛下のおっしゃったことは賢人のことばと、まったく同じです」。
「天下の安泰をねがうならば、まず自らを正さなければならない」。この言葉を以て自らを厳しく律したからこそ「貞観の治」という黄金時代が生まれた。
(道)