曹操――本当の姿【千古英雄伝】
三国時代の輝かしい政治スター曹操と言えば、頭に何が浮かぶでしょう?人々は「三国演義」で描かれた悪賢く、奸佞(かんねい・心がねじけていて、人にへつらうこと)、手段を択ばない梟雄(きょうゆう・残忍で強く、荒々しいこと)を思い浮かべることでしょう。実は本当の曹操はこのような人物ではないのです。それは作者の羅貫中が、劉備・関羽・張飛の義を際立たせるため、曹操の人格を虚構したのです。それでは歴史上の真実の曹操はどんな人なのでしょうか。
類まれなる度胸と見識
蕫卓(とうたく)が朝廷を統制したとき、大臣を勝手きままに殺害していたため、他の大臣たちは恐怖に陥った。しかし曹操は一人で董卓を刺し殺すことを試みた。成功はしなかったけれども、曹操は自分の知恵で蕫卓を騙し、危機を脱した。曹操が極めて類まれなる度胸と見識の持ち主であることがうかがえる。
人を任用するとき才能だけを見る 果断毅然
官渡の戦いにあたって、袁紹の大軍に向かって、曹軍は次々と敗退した。許昌に戻り糧秣(りょうまつ)を警護つきで運送しているとき、使者も袁紹に捕まえられ、手紙を奪い取られた。この時、曹操は食糧が絶えるという状況になった。袁紹の謀士(ぼうし・はかりごとに巧みな人)許攸が立ち上がり、袁紹のために献策した:「曹軍の主力は官渡にあります。われわれは一つの軍隊で許昌を襲撃すれば、必ず許昌を勝ち取れる。その時、曹操を捕まえようと思います」しかし、袁紹は彼の意見を採用しなかったばかりか、彼を曹操のスパイだと疑った。
すると、許攸はその夜、曹操に身を寄せた。曹操はすぐさま、靴も履かずに許攸を迎え、許攸の良策を聞いた。曹操は許攸をスパイと疑うこともなく、機会を逸せず即座に決断を下し、許攸の言葉を聞入れた。最終的に袁紹を打ち負かし、北方を統一した。
人材を愛し賢人を探し求める
曹操は才能のある人物を好んだ。自分に身を寄せる人に対して、兄弟のように扱うので、身を寄せる人が多かった。
典韋は曹操軍の中で一番勇気のある将軍である。典韋は曹操を保護するために戦死した。曹操は典韋が死んだことを聞いて、彼のために思い切り泣いた。スパイを募って彼の死体を取り戻し、自ら現場に行き泣いた。その子の典満を郎中に任命した。
学問が広く深い 詩で志を言う
曹操は軍事戦略に優れているだけでなく、詩文も上手だ。例えば曹操が作成した詩「亀虽寿」と「観滄海」は曹操の遠大な志向と雄心壮志を見事に表現した。曹操の詩は質朴の形で、彼の胸襟を披露する。彼の詩を読めば、まるでこの人に今会っているように感じる。
とにかく、曹操は人々に誤解されたように悪賢く、虚偽に満ちた人ではなく、機智(きち・その時その場に応じて働く才知)、果断(かだん・おもいきって事を行なう)、毅然(きぜん・意志が強く物事に動じない)として、策略が人より優れていて、才学に富む人物である。三国時代を通して、軍事にしても、才華にしても曹操は三国期の輝かしい政治スターである。
(編集・文亮)