中世のヨーロッパにこのように広まった伝説がありました。遥か遠い東方の地に、ある英雄が現れ、その名は「プレスター・ジョン」というのだそうです。彼はイスラム教国に勝利を収め、その首都を占領しました。人々はこの英雄が現れ、苦境からキリスト教徒を救い出すことを心待ちにしていました。プレスター・ジョンに関する最古の記録は、12世紀、フライジングのオットーの『年代記』です。
シリア西南地区では、長い間、キリスト教勢力はイスラム教勢力との戦闘で苦境に陥りました。ある日、東方に存在する広大な国の王プレスター・ジョンがペルシア(現在のイラン)を破り、間もなくバグダード(現在のイラクの首都)近郊に到着するという噂が流れ込み、キリスト教勢力を奮い立たせました。
しかし、彼らは死ぬ間際までプレスター・ジョンの軍隊をまだか、まだかと、心待ちにしていましたが、援軍は結局、姿を現さなかったのです。結局、キリスト軍は、イスラム軍の強大な兵力に勝てずに惨敗してしまいました。
プレスター・ジョンはいつかきっと現れ、自分たちを守ってくれると期待する人もいれば、ただの伝説上の人物だという人もいます。
しかし、当時の時代背景の下、確かに東方からやってきた軍隊が中東最大のイスラム国家――ホラムズに侵攻していました。その時間帯は見事に一致しています。この大軍こそ、チンギス・カンが率いる遠征軍です。そのため、後にチンギス・カンがプレスター・ジョン伝説の原型の1人という仮説が伝えられたのです。
では、当時の東方の情勢はどうだったのでしょうか?
当時の中原は分裂状態にあり、宋王朝と金王朝は末期を迎え、戦乱が絶えませんでした。一方、モンゴルの各部落は生存のため、略奪を繰り返していました。
そんな中、血の石を握りしめた男児が生まれました。それがテムジンです。テムジンの成長過程には多くの困難の試練が伴います。やがて成長したテムジンは少数をもって多数に勝ち、弱をもって強を制する、ついにモンゴルを統一し、人々にチンギス・カンと尊称されました。
その後、チンギス・カンは、草原に文字、書物、暦法、法律、貿易などをもたらし、強大な帝国を作り上げ、西征とともにヨーロッパ社会にも大きな影響をもたらしたのです。
チンギス・カンは、13世紀における代表的な歴史人物と評価され、その後、3代にわたる継承者たちは13世紀の歴史舞台の主人公となり、世紀の大ドラマを演じ、多くの歴史的大事件や大きな出来事を残しました。
プレスター・ジョン伝説を振り返ってみて、もしかすると、異なる言語による表現の差のためか、チンギス・カンの名が、プレスター・ジョンとして、その功績とともにヨーロッパに伝わったのかもしれません。
文献の欠乏により、真偽を考証するすべはありません。しかし、12~13世紀にわたって、東方の大軍を率いた救世主がやってくるという言い伝えは確かに存在し、そして、人々の生きる希望となったことは間違いないでしょう。
参考文献:
1、『NHKスペシャル 文明の道』第5巻「モンゴル帝国」
2、『元史』
3、『影響世界的人:成吉思汗』
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