【漢詩の楽しみ】山中問答(さんちゅうもんどう)
問余何意棲碧山
笑而不答心自閑
桃花流水窅然去
別有天地非人閒
余(よ)に問う。何の意ありてか碧山(へきざん)に棲むと。笑って答えず。心自ずから閑なり。桃花(とうか)流水(りゅうすい)窅然(ようぜん)として去る。別に天地の人閒(じんかん)に非ざる有り。
詩に云う。ある人が、わしにこう問うたよ。あんたは一体どんな考えがあって、青々とした山に住むのかね。わしは笑って答えなかったが、その心は、もとよりのどかなものだった。桃の花びらを浮かべた水が、どこまでも遠く流れ去っていく。ここには、俗世間とは全く違う、別の世界があるのだよ。
李白(701~762)53歳ごろの作。山中問答とはいうが、要するにそのような設定で詠じた詩なのであって、本当に作者が山中で誰かに会って問答したのではない。
これには先行する詩文がある。唐の李白からさかのぼること約350年、六朝時代の陶淵明(とうえんめい)による連作『飲酒』の第五首に「君に問う何ぞよく爾(しか)るやと、心遠ければ地自ずから偏なり。菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る」という有名な詩句があり、李白がこれをモチーフにしていることは明らかだろう。
とは言え、李白が単に詩作りだけのために、陶淵明の詩を本歌取りしているのではないようだ。それはまるで詩人の全人格的な源流探求のように、文学の山中で先人に会うことを願い、またそれを自己の作品によって超越しようともがく李白の一断面のように見える。
わが俳聖・松尾芭蕉もまた、遠く五百年を隔てた西行法師を崇敬するあまり、その漂泊へのあこがれを抑えきれず旅に立った。ただ、李白が芭蕉と異なるのは、自己に対する圧倒的な自信から、常に自らを先人より上段に置いている点である。なにしろ彼は神仙であろうとしたのだから、平気で先人を呼びつけるようなところがある。
そうすると、鑑賞の一つの試みであるが、「問余何意棲碧山」と李白に問うたのは陶淵明その人ではなかったか。そう考えたほうが、「笑って答えず」といった李白の得意げな顔が焦点を結びやすい。
ただ、これより最晩年の時期を迎える李白は、その多くが漂泊の旅にあったが、友人とも別れ、官職も在所もなく不遇の生活であったことは間違いない。
(聡)