命がけの隠しカメラ撮り、中国当局の法輪功学習者迫害を記録
20年間続いた法輪功学習者への弾圧。この間、迫害された学習者はどのような日々を過ごしていたのか。中国共産党政権の厳しい情報封鎖で、その実情はあまり知られていない。この度、海外に脱出した学習者が極秘に撮影した映像を公開した。
中国東北部の遼寧省瀋陽市出身の法輪功学習者、于溟さんはこの20年間で、4回、計12年間投獄され、拷問で何度も生死をさまよった。于さんは命の危険を冒して、遼寧省にある馬三家労働教育所や本渓刑務所で法輪功学習者が受けた拷問の様子を隠しカメラに収めた。
その後、于さんはこれらの映像とともに、中国を脱出することに成功し、今年1月、米国に亡命した。
于さんの隠しカメラには、迫害で死亡した2人の法輪功学習者の様子が記録されている。
胡国艦さん(享年48歳)
2017年、于溟さんは遼寧省本渓刑務所の系列病院で、法輪功学習者の胡国艦さん(当時47歳)に出会った。
胡さんは同省撫順市出身。2015年7月に拘束され、懲役4年を言い渡された。2回目の投獄だ。以前の投獄で、胡さんはすでに10年間拘禁されていた。
2016年5月4日、胡さんは本渓刑務所に移送された。ここで胡さんは重労働を強いられ、睡眠も許されなかった。
5月23日、胡さんの妻が刑務所を訪れ、急激に痩せこけた胡さんに驚いた。わずか19日間で、胡さんの体重は90キロ余りから50キロに急激に減ったという。
5月26日、刑務所の警官の指示を受けた複数の囚人は、トイレで胡さんに暴行を加えた。囚人らは、胡さんを全裸にし、冷水を浴びせ続けた。あまりの寒さに、震えが止まらなかった。この日、胡さんは眠ることを許されなかった。夜10時頃、胡さんは意識を失い、床に倒れ込んだ。見張り役の囚人は、胡さんを起こそうとして、足で胡さんの頭や身体を強く蹴った。意識が全く戻らないため、胡さんはやっと病院に運ばれた。
病院は、胡さんを脳出血と診断し、手術が必要だとしたが、刑務所は手術を認めなかった。昏睡状態になった胡さんは8カ月間入院したが、意識が戻ることはなかった。その後、中国当局は植物状態の胡さんを刑務所に戻した。
2017年10月31日、当局に解放された于溟さんは、胡さんの家族を支援し始めた。
2018年5月14日早朝、胡さんの体調が急変し、再び病院に搬送された。胡さんの家族とともに、病院に到着した于溟さんは、十数人の警官に監視されているなかで、隠しカメラで撮影を開始した。
警官らは于溟さんが撮影していることに気づき、カメラを奪おうとした。小競り合いの末、警官は于さんのワイシャツに付けられていた小型隠しカメラを没収したが、腰にあるもう1つの小型カメラには気づかなかった。
胡国艦さんは、その数時間後に亡くなった。
家族は今も、胡さんの遺体の火葬を拒否している。家族は胡さんが刑務所で拷問されて死亡したと考え、遺体を証拠として死体安置所に冷凍保存している。
当局は、家族に10万人民元(約160万円)を渡し、事を片付けようとした。家族は拒否した。
于溟さんによると、胡国艦さんが亡くなってから、家族は悲しみに暮れた。胡さんの母親は精神的な打撃で、持病が悪化し寝たきり状態になった。胡さんの息子はまだ大学生で、妻も職を失った。胡さんの母親は家族に迷惑をかけまいと、何度も自死しようとした。
路遠峰さん(享年63歳)
于溟さんは、迫害で死亡した法輪功学習者の路遠峰さんの様子も記録した。
2016年末、同じく本渓刑務所の系列病院で、于さんは、同省瀋陽市朝鮮族郷大興村に住む路さん(当時62歳)と知り合った。
路さんは病院に運ばれる直前まで、高圧スタンガンで45分間感電させられるなどの迫害を受けた。
その後、于溟さんの勧めで、路さんは本渓刑務所第2監区の賈長海・大隊長などから拷問を受けたとの告訴状を書いた。
路さんは告訴状の中で、受けた暴行の一部を述べた。
「2016年11月9日午前10時頃、囚人の王可宝が賈長海の命令で、私を第2監区警官事務室に連れて行った。そこで、賈大隊長は私に『法輪功を信じるのか』と質問した。私は『信じます』と答えた。これを聞いて、賈大隊長と警官の牛岱の2人は、私の両手を背中のほうに引っ張って、両手に手錠をかけた。それから、私を床に押し倒し、高圧スタンガンの電池がなくなるまで、私の背中、胸、頭と両手を感電し続けた。その間、牛岱は足でずっと私の頭を踏んでいた」
于溟さんが、路さんから聞いた話では、実にこの暴行の後、賈長海らは路さんに対してさらに30分間、高圧スタンガンで感電した。あまりの苦痛で路遠峰さんが「法輪功の修煉をやめる」と口にしたことによって、賈長海らはやっと拷問を停止した。
路遠峰さんは病院で10日間しか入院できなかった。その後、当局により刑務所に連れ戻され、さらなる拷問を受けた。
2017年8月26日、路さんは脳卒中で倒れ、この時足も骨折した。刑務所は路さんを病院に送ったが、X線写真だけ撮って手当を受けさせなかった。
同年11月19日、路さんは釈放された。しかし、家に戻った路さんは、目に生気がなく、足が不自由になったうえ、普通に会話することもできなくなった。この21日後、路さんは他界した。
同年10月末、于溟さん自身も釈放されたため、路さんの連絡方法を探していた。やっと路さんの自宅住所が分かり、路さんの家を訪ねた時、路さんはすでに亡くなったと知らされた。
「あの時の悲しい気持ちは本当に言い表せない。私はさまざまな困難を乗り越えて、迫害で亡くなった胡さんと路さんのことをカメラに収めた。しかし、胡さんたちのように拷問で死去した法輪功学習者は私の周りに、他に10人以上いる。この拷問でどれほどの学習者が殺されたのか想像できない」
(記者・曾錚、翻訳編集・張哲)