6カ月に七十余りの城を攻め落とし、諸葛孔明でも憧れた名将は誰?(一)

楽毅(がく き、生没年不明)は魏の出身で、祖父の楽羊は魏文候に仕えた武将であり、かつて中山国を滅ぼした。戦功の褒美として中山の首都・霊寿を授けられ、その後、楽羊とその子孫は霊寿に住み着いた。しかし、魏文候の死後、歴代の君主は奮わず、趙との中山の戦いで中山が趙の武霊王に滅ぼされた後、楽毅は一旦趙に入った。

武霊王は楽毅のことを高く評価していたが、「沙丘の乱」で息子の恵文王に殺された。楽毅は後継者の恵文王から邪険にされ、重用されなかったため魏に戻ることにした。その後、魏の使者として燕に遣わされることになった。燕の昭王は、先見の明がある優れた人物であり、賢者を礼遇した。昭王は楽毅の才能に着目し、「上卿」という官職に任じようとしたが、楽毅は昭王からの重用に対し、「誠に恐縮ですが、私のような外の者が『上卿』のような要職はお受けしかねます。一旦『亜卿』とさせていただき、燕に貢献し功績を立ててから要職に任じてください」と語った。

当時、斉の湣王は乱暴で傲慢、継承した権力を振りかざす王であった。自ら東帝と名乗り、斉の国力を背景に近隣の列国に対して恫喝的な外交を行い、恨みを買っていた。燕は斉によって一度滅びかけており、当時太子として辛酸を舐めた燕の昭王は、斉に対して強い恨みを抱いていた。湣王が愚昧で無能であることから、斉の征伐時機がやってきたと思い、楽毅に斉攻略についての意見を聞いた。

▶ 続きを読む
関連記事
歯ぐきの出血、実は栄養不足のサインかも?見逃しがちなビタミンC不足の可能性や、日常で気をつけたいポイントを医師の解説とともにわかりやすく紹介します。
春の強い風は体内のバランスを乱し、震えやめまい、不眠などを引き起こしやすくなります。日常の食事で肝と体調を整える、やさしい食養生を紹介します。
農薬被害をきっかけに、再生型農業へとかじを切ったアメリカ西部の牧場主。土壌を育て、在来の草地を守りながら、持続可能な牧場経営の新たな道を模索する姿を追います。
食事の中心をたんぱく質と自然な食品に置く、新しい食事バランスの考え方。難しい計算に頼らず、毎日の一皿から見直す方法を紹介します。
毎日飲む水に潜むマイクロプラスチック。実は「沸騰」というひと手間で大きく減らせる可能性があるといいます。家庭でできるシンプルな対策と、その仕組みをわかりやすく解説します。