レッド・スケルトンの笑いあふれる 「幸せな結婚生活を続ける秘訣」
「愛と結婚」は1954年にフランク・シナトラによって生み出された古きよき楽曲で、見落とすことのできない根本がそこにはある。
こう思わない人も中にはいるかもしれないが、レッド・スケルトンはそうではなかった。もしあなたが最高のパートナーを見つけたのなら、人生はなんとも贅沢な休日となるだろう。もちろん様々な試練や困難が待ち受けているだろうが、嵐のような日も笑ってやり過ごせることが一番だ。スケルトンはこのことを誰よりも知っていた。
コメディーの才能が開花する二か月前に、サーカスのピエロだった彼の父親は亡くなってしまったが、幼い頃のスケルトンは10歳という若さで父親と共に世界の巡業公演に参加していた。スケルトン自身が亡くなる1997年までの70年間もの間、その公演での経験は彼の人間性に欠かせない一部分となった。
スケルトンは1973年に、古くからの友人だったロシアン・トランドと結婚した。その当時、喜劇俳優だった彼は60歳で、トランドは36歳という若さだった。
フォックスニュースで、トランドはこう語った。「レッドはいつもジョークを言っていたわ。私も少し冗談好きなところがあったし、私達は本当によく笑って、ケンカなんて一切しなかった」
「一度も言い争ったりしなかった」と彼女は打ち明けた。「本当に本当のことよ」と。
愛と笑いで満ち溢れた幸せな結婚をしたスケルトンは、お互いの揺れ動く夫婦関係の中に、笑いを取り入れる方法を備えていた。これから紹介するのが、スケルトンの軽妙でウィットに富んだ10のフレーズだーこれを読めば、筆者がシェアせずにいられない気持ちがわかっていただけるだろう。
1 週に二回、私たちは雰囲気の良いレストランへ行く。お酒を少しとおいしい食事、親しい関係。彼女は火曜に行って、私は金曜に行くんだ。
2 寝るときも別々のベッドで寝るよ。彼女のはカリフォルニアにあって、私のはテキサスにある。
3 私は彼女をどこへでも連れていくが、彼女は帰る道ばかり探している。
4 彼女に、次の記念日にどこへ行きたいかたずねたんだ。すると“しばらく行ってない所が良いわ”と答えた。だからこう言ったよ、“台所なんていいんじゃない?”
5 彼女は電動ミキサーにトースター、パン焼き器も持ってる。“色んな機械がありすぎて、座る場所がないわ!”と言うから、電動チェアを買ってあげたんだ。
6 彼女が泥パックをして、二日の間は本当に奇麗だった。そのあと、すべて流れ落ちてしまったけどね。
7 彼女がゴミの収集車を追って叫んでいた。“このゴミ、もう間にあわないかしら⁈”“大丈夫、早く乗って!”
8 “理想”さんっていう名字の女性と結婚した。名前が“ありきたり”さんだったとは知らなかった。
9 妻とはもう18ヶ月話していない。彼女の邪魔をしたくないからね。
10 覚えておくんだ、結婚は離婚の最大の理由だってことを。
スケルトンは何十年も観客を笑わせ続けた。時代が変わるにつれて、彼のコメディーは当時よりも大胆で華やかなものに変わっていった。でも、私たちの心の中にはいつでも、当時のあの愉快なジョークスターが存在し続けるだろう。
未亡人となったロシアンは2013年に、晩年のスケルトンの所持品のいくつかを、インディアナの“アメリカのユーモア レッドスケルトン美術館”に寄贈した。スケルトンの遺産が生き続けるよう、願ってのことだった。“レッドはファンのことが大好きだった”とロシアンは語った。
世の中から罵倒の言葉が減り、スケルトン流の思いやりのある皮肉な笑いが増えれば、世界はもっと良くなるはずだ。彼のユーモアを是非実践して、奥さんと共有してみてほしい。夫婦喧嘩に巻き込まれたときは、このコメディーの天才の書庫から、気転の利いた返しを拝借してみてはどうだろうか。
(大紀元日本ウェブ編集部)