6カ月に七十余りの城を攻め落とし、諸葛孔明でも憧れた名将は誰?(二)

 

連合軍が速やかに斉を攻め落とし、燕軍を斉の各地に配置し、国民を安心させることによって民心を得られ、斉を征服できると楽毅は考えていた。しかし斉の将軍・田単は反間の計を用い、「楽毅は6ヶ月で七十余りの城を落とせたが、なぜ3年かけても即墨と莒を落とせないのか? その理由は楽毅が自ら斉王になろうと企んでいるからだ」と、流言を流した。それを聞いた昭王は「楽毅の功績は天地を覆っている。王に封じても構わない」と言い、使者を送って楽毅を斉王に封じようとした。楽毅は昭王の絶大な信頼と厚意に感激しながら、王の冊封を死んでも受けられならいと言い、昭王との約束を守り、「昌国君」の冊封だけを受け入れたのだった。

その最中に昭王が崩御し、死後に太子の恵王が即位した。斉の将軍・田単は、恵王の疑り深い性格と、太子時代に楽毅と不仲だった時期があったことを知っており、再び反間の計を用いた。恵王は流言を信じ、直ちに楽毅を解任して帰還させ、騎劫を将軍として送り、楽毅の代わりに兵符を引き継がせた。一方、田単は即墨で反攻に転じ、騎劫の率いる燕軍を撃破し、奪われていた七十余りの城を全て奪還し、楽毅の苦労は泡のように消えてしまった。

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