時に、人生の教訓は重要な倫理観を説くものでもあります。ここではある修道院に仕える若い僧侶の話をしましょう。
ある修道院に、とても高名な僧院長がおり、彼の下には多くの若い僧侶が仕えていました。僧院長は心を豊かに育み、精神を鍛える方法を教え、数々の偉大な僧侶を輩出したといいます。
ある日、彼の教え子の1人が、窃盗で現行犯逮捕されるという事件が起きました。しかし僧院長は彼の前では平然と振る舞い、あえて罰則を与えなかったといいます。後に再犯が見つかり、他の生徒たちの怒りを買っていても、その僧院長は罰を与えることを拒んだといいます。これに憤慨した生徒たちは、彼を永久追放するための署名活動を行い、もしこの要求が通らない場合は、他の生徒全員が代わりに退去すると訴えました。
しかしこれに対し僧院長は「例えここにいる全ての生徒を失ったとしても、彼を追放することはありません。彼には助けが必要なんです。彼にはまだ善悪が理解できていません。この行為を続けていくと、今後どんな苦しみと報復が持たらされるのか分かりません。それを考えるだけでも私の心は痛むのです」と全生徒に胸の内を明けました。
窃盗をしてしまった生徒は、この僧院長の言葉に感動し涙を流しました。そしてもう一生盗みをしないと誓い、許しを乞いました。全生徒はその彼の言葉に真摯的で強い決意を感じました。そしてすっかり怒りも消え失せ、その場は思いやりの心で包まれていたといいます。
ある生徒は「僕たちはどうしてここまで怒りでいっぱいだったのだろう。僧院長は僕たちが入ったばかりの時から思いやりについて教えてくださったのに、すっかり忘れていた」と後悔の念を表し、ある生徒は「僧院長の思いやりには感動した。今日の出来事を機に、しっかり私の心に刻んだよ」と語りました。
過ちを悔い改めた生徒は、僧院長の慈悲によって人生が変わったといいます。その日から、彼は思いやりの心を培う修行に励みました。その後彼は、利己的にならず、実直でいることに気を使い、他人も気遣えるようになったといいます。
1人の思いやりが、多くの思いやりを生むことを知っていた僧院長。現代社会では忘れがちな慈悲の心を、私たちも忘れずに刻んでおきましょう。
(大紀元日本ウェブ編集部)
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。