ガンは私たちの年代では全く珍しくない病気の一つです。
20年以上前、私の母親も乳ガンを患いました。すごく私は怖く悲しい思いをしましたが、本人はいたって平然として堂々としていました。母が宣告を受けた日、私はベッドの横で大泣きをしましたが、母は「絶対に大丈夫」だと気丈にふるまっていました。
それが、今度は私がガンになってしまったのです。私は母のようにあんなに落ち着いていることなんて全くできませんでした。母は初期のガンでしたが、私はステージ3か4の末期ガンだったのです。
ガン宣告を受けてからの一週間はとても大変な一週間でした。ガンは移転していないか、私は死んでしまうのか、これからどれほど痛みが強くなってくるのか、髪がなくなって歩く骸骨みたいになるんじゃないのか…。
色々な不安が頭の中で何度も何度もぐるぐると周り続けます。
ただ、心の内面は落ち着いていて、たまに笑うこともありました!昔の古いコメディドラマを見たりして、恐怖を忘れようともしました。
恐怖心を感じたときにどういう行動を取るかは、人それぞれ違うと思います。何もなかったかのように振る舞う人、たくさんの人から励まされ、ハグをされたいと願う人、一人になりたいと思う人。どの方法にも正解も不正解もありません。
では、私の場合はどうだったでしょうか。どうやってこの状況を乗り越えたのか?それは「逃亡」でした。家の中でずっと一人になって7日間を過ごしました!
この事態をみんなに知らせるために、私は一人になる必要がありました。一人でいることで自分が好きなように、泣いて、祈って、考えて、散歩に行ったり、深夜まで起きていてネットで生存率や色々な治療について調べたりできたからです。今後の戦いに備えて頑丈な鎧を身に着けておくために必要な時間でした。
友達や恋人に会ってハグしてもらうのは、私にとっては重すぎました。
なぜって?それは、自分が死ぬかもしれないし、みんなにさよならを言わないといけないかもしれないからです。みんなに直接会う代わりに、私はメールでこのことを伝えることにしました。その時、メールやラインの存在にとても感謝しました。
「こんにちは。大腸の検査結果、悪性の腫瘍が見つかりました」私は、両親や兄弟、友達みんなにびっくりする爆弾メールを送っていきました。誰とも直接会って話す気持ちにはなれなかったからです。もしそうすれば、大泣きして自分でもコントロールできないくらいになると思ったからです。メールだけが私の唯一の手段でした。
母にメールを送ってすぐに母から電話が来ました。私は物凄く泣きじゃくりました(もちろん母もです)が、母親と話した後とても安心しました。普段から自立している私ですが、この時ばかりは家族の応援なくしては病と闘っていくことはできないと感じました。
宣告から一週間、私は「やらなければいけないリスト」を作りました。
上司や他の同僚に連絡をし、このことを伝え、仕事の段取りをしてもらい、CTスキャンやMRIの予約を取り、もっとコストかからない病院を探したり、セカンドオピニオンのために他の病院に連絡を取ったり。そして最も重要な化学療法のカウンセリングを受けなければいけませんでした。
この化学療法については次回の記事で詳しくお話したいと思います。それまで、ゆっくりと深呼吸をして、あるがままに過ごしたいと思います。
(大紀元日本ウェブ編集部)
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