なぜ「ふところに石」?懐石の語源とは

日本の茶道に興味を持ち、茶室の「和敬静寂」の雰囲気と、作法の洗練された美しさに心を惹かれ、裏千家流のボランティアの先生について、茶道を少し習った時期がありました。日本に留学した当初のことでした。

茶道には「懐石料理」というものがあります。それは本来お茶の点前の前の一時的な空腹を満たす少量の簡素な食事というものでしたが、現在では、料亭や割烹で日本庭園を眺めながら、四季折々の食材を活かした懐石形式の料理としても提供されています。

「懐石」は一見難しそうな言葉ですが、しかし、歴史の重みと哲理の深さを感じさせてくれました。

「懐石」という言葉が料理に結び付いた経緯は二つあると言われています。一つは、修行中の禅僧が寒さや空腹をしのぐ目的で、温石を懐中に入れていました。ある日、客人をもてなしたいが食べるものがなく、せめてもの空腹しのぎにと温めた石を客に渡し、懐に入れてもらったとする説です。もう一つは、老子が著した『道徳経』の第70章にある「是以聖人被褐懐玉」(是を以って聖人は、褐『かつ』を被『き』て玉『ぎょく』を懐『いだ』く)に由来していると言う説があります。

「被褐懐玉(ひかつかいぎょく)」とは、うわべは粗末な服を着ながらも懐に玉を隠し持ち、すぐれた徳を備えているという意味だそうです。外見をひけらかすことなく、内面の価値を重視する茶道の「わび・さび」精神とも通じるものがあるため、茶道の形式に則った食事のことを、玉を石に置き換え「懐石」にしたとのことでした。

なるほど、「懐石」とはお茶の世界の「物質よりも精神」「外観よりも心」といった価値観と美意識をうまく言い得た言葉だったというわけです。先人たちの仏学や道学の造詣の深さにも敬服しました。

現代社会では、科学が発達し、物質が豊かになりました。人々は経済活動に没頭し、忙しい日々に追われ、先人たちが最も大事にしていた心を失い、精神世界が荒廃してしまっているかのようです。初心に戻り、先人たちの知恵を借りて、改めて私たちの現在の生活を見直す必要があるのではないでしょうか?

こんな時代の今こそ、心を落ち着かせ、先人たちが私達に残してくれた言葉に耳を傾け、その意味合いを吟味し、自らの感性を磨くことができたなら、得られるものが多くある気がしてなりません。

昔からあり続ける言葉は本当に素晴らしく、深い意味が込められているものです。

(ビジョンタイムズより転載)

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