GettyImages

世界で一番物忘れのひどい人

昔、魯の哀公が孔子に尋ねた。「物忘れのひどい人が引っ越しをした時に、妻を置き去りにしてしまい、焦って妻を探し回ったという話を聞きましたが、世間にこのような人は本当にいるのでしょうか?」

孔子は言った。「このような人は、物忘れがひどいとは言えません。それよりひどい人は『己』を忘れてしまった人です」

哀公が言った。「それは、本当に物忘れがひどいですね。どのような人を指すのでしょうか?」

孔子は答えた。「昔、夏の桀王は天下を手中にし、富貴を極めましたが、先祖の教えを忘れ、法制を破壊し、祭祀を廃止し、酒色や享楽におぼれました。奸臣は阿諛追従(あゆついしょう・相手に気に入られようとして、こびへつらうこと)し、忠臣は罪科が下されるのを恐れ、口を閉じました。結局、桀王の統治は反乱に遭い、終焉を迎えました。桀王のような人こそ、人の道理を忘れ、己を忘れた世界で最高に物忘れのひどい人です」

(『孔子家語』より)

(翻訳編集・柳小明)

関連記事
台湾で最も歴史のある台南は、閩南(びんなん、福建省南部)系の古い建物や、和洋折衷の歴史建築などが多く残っていて […]
端午の節句に風に揺れる五色の鯉のぼりは、日本の風物詩の一つですが、その起源は古代中国の神話「鯉が龍門を飛ぶ(鯉の滝登り)」に由来します。この節句はもともと男の子の成長を祝う日とした伝統行事です。
とんでもないおふざけと残酷なディストピアを力づくで押し付けようとする単一の方針が、これほど急速に地球全体を支配したことはない。2020年、コロナウイルスを封じ込めようとする無益な試みによって、これは起こった。
1271年、モンゴルのフビライ・ハンが元を建て、初めての漢民族以外の皇帝となりました。その後、数十年にわたり、中国はかつてない規模の帝国となり、元は文化の多様性と国際貿易の栄えた時代となりました。
明の最初の皇帝・太祖の生い立ちは、朝廷生活とはほど遠く、彼は朱元璋と名付けられた農民の子供でした。彼は最初、僧侶の道を歩みましたが、モンゴル主導の元が朝廷内の闘争で弱体化する中で反乱軍に参加し、まもなく右に出るもののいない軍事家として才気を発揮することとなりました。