与える人と与えられる人
世の中には、富を持てる人と持てない人がいます。どちらの側に生まれても、人に与えるという事は思ったより難しくありません。たとえ施すほどのお金や知識がなくても、ちょっとした親切や温かい笑顔が他人を救う場合もあります。それでは、人にとって与えるという事は本当に幸せなのでしょうか?古代中国の物語が教えてくれるかもしれません。
中国の明の時代、全く性格の異なる兄弟がいた。兄は怠け者で大食漢、いつも些細な事で怒り、ケンカが絶えなかった。一方、弟は勤勉で忠実、人と人との繋がりを大事にする男だった。
ある日、二人が馬車で山道を進んでいると、折悪しく雨が降ってきた。ぬかるんだ道を疾走していた馬車は転倒し、二人はあっけなく死んでしまった。兄弟の魂は身体を離れ、あの世の門までやってきた。あの世の門番は兄弟を中へ招き入れると、閻魔大王のところに連れて行った。
大王は二人に告げた。「お前たち二人が人間として生きた人生は、特に悪事はなかったが、目だった善行もなかった。従って、次も引き続き人間として生まれ変わるのがいいだろう。裁判官よ、次にここにいる息子たちが行く家族はどこだ?」
あの世の裁判官は答えた。「二つの家族がいます。趙家と謝家です。趙家に生まれる者は、常に他人に自分のものを与える運命です。謝家に生まれる者は、一生、他の人から与えられることになっています」。大王は慎重に名簿をめくった。そこには、生前の行いによって決められた人間の輪廻転生が細かく記載されていた。
大王は二人を趙家と謝家に生まれ変わらせることに決めた。それを知った兄は、ふと思った。「もし俺が趙家に生まれたら、他人に施すために、懸命に働かなければならない。それは大変な人生だ。それよりも、他人から与えられる方が楽だ」。兄はすばやく大王の前にひざまずき、懇願した。「大王様、どうかご慈悲を。他人に与えるだけの人生は、非常につらいものです。どうか私を謝家に生まれ変わらせ、他人から与えられる人生を送らせてください」。誠実で正直者の弟はずっと黙っていたが、兄の言葉を聞くと、恭しく述べた。「大王様、どうか兄を謝家に、私を趙家に生まれ変わらせて下さい。私は趙家に生まれて、人々に与え、助けたいのです。それによって、私は人々と善縁を結ぶことができるでしょう」。大王は兄弟の願いを聞き入れ、二人をそれぞれ趙家と謝家に生まれさせた。
困っている人々を助けると誓った弟は、高貴で裕福な趙家に生まれた。彼はこの家の一人息子で、たいそう可愛がられ、とても頭がよかった。彼はいつも友好的で、人々を助けた。彼の行為に両親も触発され、一家は蓄えた財産で困っている人々を助けた。彼の無私の行為は評判となり、人格者として人々から尊敬された。一方、人から与えられる人生を選択した兄は、謝家に生まれた。謝家は非常に貧しく、乞食をして生活をしていた。彼は人々の施しと同情を受けながら、一生を送ったという。
与える人は恵まれている。「人に与えたい」というその一念が、人生を大きく左右するのだ。
(翻訳編集・郭丹丹)