足るを知れば、常に楽し
天上の星は、≪地上の人間には、[【満足するということを知らなければならない】ということが自分たちにはわかっていない]ということが永遠にわからない≫のを見て笑っている。
目の前にコップ半分の水があったとき、それを多いと思うだろうか、それとも少ないと思うだろうか?人によって考え方はまちまちだろう。上から見ればとても少なく見えるが、下から見れば、一杯入っているように見えるはずだ。心の状態の良し悪しによって、事物に対する見え方は全く異なってくるものである。自分をかなり高い位置に据えて物事を見たならば、その物事に対する期待も自ずと高くなり、それがひいては、容易に失望してしまうことになる。逆に、自分の目線を低く下ろしたならば、一切がかなりいいものに見え、それがひいては、容易に満足するということになる。
皆さんはおそらく、漁夫と金の魚の話を聞いたことがあるでしょう。
一人の漁夫がいた。家はとても貧しいのに、奥さんは欲張りだった。ある日、漁夫が網を打つと、一匹の金の魚が網にかかった。金の魚は助けてもらうために、漁夫に願いを一つだけ叶えてあげると言った。心優しい漁夫は、何も要らないと言うと、金の魚を海に帰してやった。家へ帰って、漁夫がそのことを妻に話すと、妻はひどく怒って、木のたらいをもらっておいでと言った。そこで、漁夫は海辺に行って、金の魚から木のたらいをもらってきた。すると、妻は今度は、木の家がほしいと言った。金の魚は今度も妻の望みを満たしてくれた。つけあがった妻は、貴婦人になりたい、いや、女王になりたい、ついには、自分は海の女王になって、金の魚を召使にしたいと言い出した。漁夫からそれを聞いた金の魚は、何も言わず海に帰っていった。漁夫が家へ帰ってみると、そこにはぼろぼろの家と、あの木のたらいと、ぼろぼろの服を着た妻がいた。
私たちはしばしば、自分の生活は良くないし、一番きれいな服も、最新モデルの携帯も持っていないと不満を漏らす。ところが、見方を変えれば、私たちには食べ物があってひもじい思いをする必要がないし、着る服があるので、寒い思いをしなくてもいい。私たちは元気だし、近くに戦争もない。もっと柔らかい眼差しで周りの物事を見、「足るを知る」の気持ちで生活してみてはいかがだろうか?
老子が言った。「最大の罪悪は欲望が多すぎることであり、最大の災いは足るを知らないことであり、最大の過失は欲張りで満足することがないということだ。ゆえに、足るを知るということが分かっている人は、生きていて永遠に楽しいのである」。