【ショート・エッセイ】天上から仙人が見下ろす国

仙人掌、仙人球、仙人鞭。中国語の辞書をめくっていて、たまたま目に留まった。どうやら、その形状で分類したサボテンの名称であるらしい。前から順にウチワサボテン、玉サボテン、柱サボテンだという。

 サボテンを愛好しているわけではないが、興味深いのは、この類の植物がもつ不思議な存在感を、中国語では「仙人」という多分に擬人的な感覚でとらえていることだ。

 中国では、例えば独峰に生える孤高の松を、人間の修練の延長線上に完成された一種の造形、つまり「仙人」的完結と見る。

 仙人という言葉は日本語にもあり、それを表面的な理解で日本人も使っているのだが、その語感は決して中国語ほどのリアリティを持たない。木にも石にも八百万の神が宿る日本には、道教に基づく神仙思想が断片的に輸入され、日本の陰陽道などに影響を与えていたとしても、民族の背骨となるほどの「仙人」文化は存在しないのだ。

 そもそも仙人とは何か。一言で説明するのは仙術でも使わない限り不可能であるが、要するに不老不死の術を修め、さまざまな神通力を持ち、俗界を離れた山中などに住むという道教の理想的人物を指す。

 では、その道教の開祖とされる人物は誰かと言えば、老荘思想を唱えた道家(どうか)の始祖である老子(ろうし)である。老子は、中国の周の時代というから、紀元前600年ごろの人であろう。補足するが、宗教である道教は、老子によって創られたのではなく、老荘思想を来源とする複数の民間信仰が集合し、西来の仏教の影響も受けて北魏時代の寇謙之(こうけんし)が5世紀ごろに確立したものである。

 その開祖に老子を据えたのは、時代が下り道教が隆盛した7世紀の唐代であった。以来、老子は神格化され、最上級の神仙である「太上老君」と称された。

 道可道非常道。道の道とすべきは常の道に非ず。すなわち老子は、「これが道だと定義できるような道は、恒常不変の道ではない」と述べて、世間一般の学者が勝手に言っているような道は、実は宇宙の根源的な真理ではない、つまり全てニセモノだよと説破する。

 孔子の儒家は、親子間の「孝」を出発点として、人間関係を秩序づけることを基本道徳とした。これに対して道家は、超越的な「無為自然」を説く。これが道だと名付けること自体、絶対的な真理に反しているから、道家のいう「道」は人為を越えて無名無為でなければならないのだ。

 これらを「迷信」だ「牛鬼蛇神」だと決めつけ、破壊の限りを尽くしたのが20世紀後半に出現した中国の現政権である。中国史上、最も卑小で被害妄想的な彼らの根底にあるのは、自国の伝統文化に対する巨大な恐怖心に他ならない。

 それもそのはずで、仙人が秘術を使えば、彼らを掌から吹き飛ばすなど造作もないことなのだ。あなどる莫れ、天上から見下ろす神や仙人を。

(埼玉S)

 

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