【ショート・エッセイ】

スポーツ選手と長寿

東京・代々木公園の一角にある陸上競技場は、アムステルダム五輪の三段跳びで優勝し、日本人初の金メダリストとなった織田幹雄選手の業績を記念して「織田フィールド」と呼ばれている。

 そのアムステルダム五輪が行われたのは昭和3年(1928年)。織田さん自身も晩年語っていたことだが、当時、日本の国際スポーツ競技会への参加は黎明期で、海外の十分な情報もなく、手探りの中で練習していたという。三段跳びという競技名も、ホップ・ステップ・アンド・ジャンプという当時の英語名から織田さんが作った訳語であった。

 織田さんは05年(明治38年)広島生まれ。亡くなられたのは、なんと98年(平成10年)というから満93歳の長命であった。

 昭和7年のロサンゼルス五輪で三段跳び優勝、走り幅跳び3位となり、織田選手と同じく日本陸上界の黎明期を支えた南部忠平選手も、平成9年に満93歳で逝去した。
 織田さんと南部さんは、早大陸上部の同学年(または織田選手が1年上)で、兄弟以上に仲の良い親友だったそうだが、その生涯の長さまでほぼ一致したことに周囲は驚いたという。

 それにしても晩年までお元気のまま、93歳の天寿を全うされた二人の金メダリストには驚く。スポーツ選手が果たして長命なのか短命なのか、実のところ分からない。一般的に、アスリートと呼ばれるハイレベルの競技者は、大きな負荷をかけて練習するため、肉体的には早熟早老であると言われている。

 しかし、競技者を引退した後、指導者となって多くの後進を育てるとともに、広く国民にスポーツの楽しさを伝え、また組織の役員としてスポーツの普及と強化に尽力した両氏の功績は、競技者時代の栄光にも勝るものである。

 そう考えるならば、引退後のアスリートの命を、天が少し長めに与えることも或いはあるのではないかとも思う。爽やかな初夏。屋外へ出て、軽く走ってみたくなった。

(埼玉S)