1918年6月1日。日本で初めて、ベートーベンの「第九」が全曲演奏された。
▼場所は、なんと捕虜収容所。イギリスの同盟国として第一次大戦に参戦した日本は、中国山東省に租借地をもつドイツの要塞を攻撃する。1914年10月31日から11月8日の「青島の戦い」では、双方、勇敢に戦い、ドイツが敗れた。
▼翌年1月18日、勢いに乗じた日本は、中立国であった中国(中華民国)の袁世凱に「対華21カ条要求」を突きつける。そのことが、以後の歴史において、中国人の対日感情をわるくする発端となったことは否めない。
▼この点、補足しておく。今の中国人がもつ狂気的な反日感情は、1989年「六四」以後、民主化の火種を根絶したい江沢民が、愛国思想(実は愛「党」)を児童や学生に注入する上で、反日を最大限に利用し、日本への憎悪を意図的に膨張させた結果である。「抗日記念館」などの洗脳施設を増やしたのも、江沢民時代であった。
▼話を戻す。捕虜となったドイツ兵4700余名のうち、約千名が、坂東俘虜収容所に送られた。現在の徳島県鳴門市である。会津人である収容所長の松江豊寿陸軍中佐(のち少将)は、戦争捕虜であるドイツ兵を人道的に扱い、可能な限り彼らの自由を認めた。
▼地元の人々は「ドイツさん」と呼んで、親しんだ。ドイツさんたちも、パン製造など元の職業を生かして、地元民への貢献を惜しまなかった。それにしても、楽器をそろえて練習し、男声だけだが合唱つきの「第九」を演奏する捕虜収容所など、童話の世界としか思えない。102年前の史実である。
【紀元曙光】2020年6月1日
記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。転載を希望される場合はご連絡ください
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。