乾隆は清朝において在位60年という長寿を誇り、お茶をこよなく愛した皇帝としても知られている。当時乾隆が息子の「皇十五子」(後の嘉慶帝)に皇位継承することを決定した時、大臣らは「国は一日たりとも君主を無くしてはならぬ」と忠言した。すると乾隆は微笑みながら茶飲みを手にし、「君主は一日たりともお茶を無くしてはならぬ」と返した。
乾隆は非常に旅行が好きで、在位中に、幾度か江南を歴訪し、数々の茶事に関する物語を残した。
ある時、乾隆は江南を私服視察するために訪れた。途中で茶屋を通りがかり、乾隆はむしょうにお茶が飲みたくなった。店に入り、店員の接客を待てずに、自ら自分と部下にお茶を入れ始めた。皇帝が部下にお茶を入れるのは前代未聞なことで、更に部下達は乾隆が私服視察中なので、宮中の礼を捧げることもできない。侍従たちは大変恐縮に感じ、どう対応すれば良いのか分からず困り果てていた。そのとき、1人の侍従が良いアイディアを思い付いた。彼は中指と人差し指を曲げ、乾隆に向けてテーブルを軽く叩いたのだ。これは両ひざでひざまずく意味で、皇帝に礼を表したのだった。これを見た乾隆は笑いながら頷き、大変気に入った様子だった。
それ以来、この合図は茶の間での礼儀作法として定着した。ご主人からお茶を出されたとき、客はそのような動作で謝意を表す。
乾隆は江南を訪れるたびに、各地の銘茶を吟味し尽した。また皇帝に好まれたため、銘茶の知名度も一層高まった。
乾隆が杭州を訪問した時、龍井山に登り龍井茶を堪能しようとした。甘い龍井泉水でたてた龍井茶の香りは非常に上品かつ濃厚で、味も純正だった。これに感激した乾隆は、即座に龍井山にある18株の茶の樹を「御茶」(皇帝が飲用する茶)と命名し、「龍井18御茶」と書き残した。それ以降、龍井茶の名は全国に広まった。また、湖南省にある洞庭湖の銘茶「君山銀針」に乾隆は一目惚れし、「貢茶」(宮中に上納するお茶」と定めた。後にこのお茶は益々有名になった。
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