中国北京市にある中南海の一角(Mark Schiefelbein-Pool/Getty Images)

<中共ウイルス>「チャイナ・セブンは今どこ?」感染拡大の北京で憶測飛び交う

6月11日、中国北京市の食品卸売市場で中共ウイルス新型コロナウイルス)の集団感染が発生してから、市政府は学校の閉鎖や移動規制を実施し、市内の大半の地域で都市封鎖を行った。中国最高指導部である共産党中央政治局常務委員会の7人のメンバーは、公の場に現れる回数が急激に少なくなった。国内外では、「チャイナ・セブンはどこにいるのか」との声が上がった。

中央政治局常務委員7人の動静

6月11日以降、習近平国家主席が公の場に顔を出したのは全部で2回。1回目は6月17日、アフリカ諸国の首脳と行ったテレビ会議だ。2回目もテレビ会議で、6月22日、習主席と李克強首相は欧州連合(EU)との首脳会議に出席した。

中国官製メディアの報道をまとめると、習主席は、市内で感染者が出る前に2回、公の場に姿を現した。習氏は6月2日、北京市で開催された専門家・学者らとの座談会に参加し発言した。8~10日までは、視察のため寧夏回族自治区にいた。同氏は7日、すでに北京市を離れたとの憶測が出ている。官製メディアの習主席に関する報道は、地方政府の会議やイベントへの祝辞、行政令を出すことなどにとどまった。

李克強首相は6月22日、EUとの首脳会議に出席したほか、6月15日、北京市で開かれた第127回中国輸出入商品交易会のオンライン開会式に臨席した。国営中央テレビ(CCTV)の報道では、李首相は6月17日、国務院常務会議を主催した。しかし、同報道には映像がなく、文字しかなかった。ほかには、6月1日と2日、李氏は山東省を視察した。4日、北京市で防疫対策会議に列席し、同日夜に英政府が主催したグローバル・ワクチン・サミットのオンライン会議に参加した。また、李首相は9日、国務院常務会議に出席したが、官製メディアの報道では映像はなかった。11日、オンライン上でドイツのメルケル首相と会談した。

党内序列3位の栗戦書・全国人民代表大会(全人代)常務委員長は、6月19~21日の日程で開催された第13期全人代常務委員会第19回会議に出席した。マスク姿の栗氏は会議中、発言しなかった。栗氏は、6月1日と9日にも、それぞれ全人代の会議に臨んだ。

序列4位の汪洋・全国政治協商会議主席は6月22日、第13期全国政治協商会議常務委員会第12回会議の開幕式に姿を現した。同氏は、19日にも北京市で開催された全国政治協商会議の関連会議に参加した。汪洋氏が発言する時だけ、マスクを外した。また、汪氏は6月8~12日まで、新疆ウイグル自治区で「調査研究」を行ったという。6月5日と8日にも、全国政治協商会議の会議に出席した。

序列5位で「三朝帝師」との異名を持つ王滬寧・党中央書記処書記も、公の場で姿を見せる回数が非常に少なくなった。6月17日、習近平主席とともに、アフリカ各国の首脳とのオンライン会議に臨席したことと、6月4日、李克強首相が召集した防疫対策会議に参加しただけだ。

序列6位の趙楽際・党中央規律検査委員会書記の6月の動静を伝える報道はなかった。

序列7位の韓正・副首相は6月12日、2022年に北京で開催される第24回冬季オリンピック組織委員会会議を主宰した。同氏は5月31日~6月2日まで、湖南省を視察した。CCTVは、韓正氏が6月3日に北京市で、林鄭月娥・香港特別行政区長官と会談したと報じたが、報道映像はなかった。

北京から退避したか

中国政府系メディアの報道をみる限り、北京市で感染者が確認されて以降、チャイナ・セブンは公の場に登場する回数が非常に少ないのがわかる。

時事評論家の鍾原氏は大紀元への寄稿で、党中央政治局常務委員の7人は北京市を離れて退避した可能性があると指摘した。チャイナ・セブンの現在の居場所について、同氏は「北京市に近い場所にいるか、または、7人がそれぞれ他の場所に分散したかもしれない」とした。

6月11日以降、北京市は物々しい雰囲気に包まれた。市民の楊さんによると、警官が、市内の地下鉄駅の出入り口で増員され、利用者の身分証や感染リスクを示す「健康コード(スマホの画面上に表示されるQRコード)」などを厳しくチェックしている。

また、楊さんがタクシーを利用した際、運転手から「発言を慎重に」と小声で注意を促された。タクシーの中での会話はすべて録音されているからだという。楊さんによると、天安門広場や人民大会堂などが位置する幹線道路、長安街では通行人の姿が消え、代わりに厳戒態勢の警官や私服警官が、普段と比べて多く配置されている。

他の匿名の市民は、「街のあちこちに警官がいて、道を歩いている時だけでなく、携帯電話の通話まで監視されている。プライバシーが全くない。本当に恐ろしい」と述べた。

鍾原氏は、「中国最高指導部は、高官らが早くも退避したと、市民や政敵に知られたくないだろう。市民が知れば、強く反発するだろうし、政敵も7人がいない間にクーデターを起こす可能性がある。だから、当局は市内で警備態勢を強化した」との見方を示した。

同氏によれば、チャイナ・セブンの退避で中国政治の中枢である北京市は、今「権力の真空状態」になったと懸念されている。しかし、「最高指導部が最も不安に感じているのは、『権力の真空』というよりも、自身が感染するかどうかのことだ」。

2003年、中国広東省で重症急性呼吸器症候群(SARS)が発生し、感染が北京市まで広まった。当時、中国の最高指導部は、2チームに分けられた。

Aチームの胡錦涛国家主席、温家宝首相らが北京市に残り、防疫の対応を指揮していた。Bチームの曽慶紅・国家副主席、呉邦国・全人代常務委員会委員長、黄菊・副首相らは公務を減らし、公の場に姿を現さなかった。このため、Bチームの高官らが北京から退避したとの憶測もあった。

また、当時、江沢民元国家主席や朱鎔基元首相などの党内の長老やその親族は他の地方へ回避した。

習近平指導部の7人全員がいっぺんに避難したことが事実であれば、北京市の現在の感染状況は実際には、非常に深刻だとみる。

(記者・沁蓮、翻訳編集・張哲)

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