(前稿から続く)武士道を具現するために、人間は潔くなければならない。
▼先述の『宮本武蔵』を、また思い出してしまうのだが、沢庵和尚は、千年杉へ吊り上げられた武蔵(たけぞう)に向かって、こんな説教をしている。
▼「たとえば、おぬしの勇気もそうだ、今日までの振舞は、無知から来ている命知らずの蛮勇だ。人間の勇気ではない。武士の強さとは、そんなものじゃないのだ。怖いものの怖さをよく知っているのが人間の勇気であり、命は、惜しみいたわって珠(たま)とも抱き、そして、真の死所を得ることが、真の人間というものじゃ」。
▼吉川英治という、小学校も卒業せずに中退した学歴の小説家に、中学生だった小欄の筆者は、人生の基盤を授かった。『宮本武蔵』が朝日新聞の連載小説に登場したのは昭和10年8月。やがて戦時色がつよくなる時代に、広く人気を博した。一乗寺下り松に待つ吉岡一門73人のなかへ、二刀で単身斬り込んでいく宮本武蔵に、戦地へ向かう若い兵士の多くが自身を重ねたといわれる。
▼「潔く」とは、精神の清潔さのことであり、命を無駄にすることではない。吉川英治が、小説のなかで沢庵和尚に言わせたのは、「命を惜しみ、いたわり、そして真の死に場所を得る」という、背反的でありながら矛盾しない武士道の理念であった。
▼新渡戸『武士道』へ話を戻さねばならない。その潔さは、究極的に、何のために要求されるのか。新渡戸は、「武士道は、個人よりも、公(おおやけ)を重んじる」と説く。忠臣蔵で、脱落せずに最後まで忠義を貫いた四十七士が称賛される理由は、ここにある。(次稿へ続く)
【紀元曙光】2020年8月10日
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