【歌の手帳】やまと歌の心
やまと歌は人の心を種として萬(よろず)の言(こと)の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出(いだ)せるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙(かはづ)の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をもやはらげ、たけき武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。(古今集仮名序、冒頭部分)
日本で漢詩を「からうた」と通称したのに対して、和歌をもちろん「わか」とも言いましたが、ここでは「やまとうた」と呼んでいます。
中国に漢詩がなかったら中国でありえないように、日本人と和歌が、切っても切り離せない関係であることは言うまでもありません。引用した古今集仮名序の冒頭にあるように、和歌は、人の心をその源泉として無限の言葉が綾なす、美しい文学です。
我が国最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』に真名序と仮名序という序文があり、特に仮名序に記された歌論が、日本の歌の出発点となったといっても過言ではありません。
絵画のスケッチのような「写生」を提唱した正岡子規(1867~1902)は、優美で華やかな古今調を好まぬあまり『古今和歌集』を「くだらぬ集にて有之候」とまで酷評しました。
子規が高く評価したのは、素朴な歌風の『万葉集』や武家の棟梁である源実朝の『金槐和歌集』などでした。ただ、いま改めて仮名序を読むと「心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり」などは、むしろ子規の写生にちかい思想にも見えます。
ともかく、正岡子規は治らぬ病をかかえながら、残された時間のなかで血を吐くように多作を重ねた人でした。重病の床にあって、なお創作への執念と旺盛な食欲をみせたのは、それが「明日は死ぬかもしれない自分が今日を生きている証」であったからでしょう。
そんな子規の鬼気迫る心情からすれば、平安貴族が技巧をこらした恋愛歌などは無価値にちかいものだったのですが、子規をはじめ、そうした後世の評価が可能であるのも万葉や古今といった先達の歌集が存在したからに他なりません。
ならば21世紀、令和の日本人である私たちも、これからもっと「やまと歌」に親しもうではありませんか。古歌もよし。現代短歌もよし。例えば、こんなふうに。
言の葉をつづりて贈るその先にありて嬉しや読者といふ友
(敏)
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