【漢詩の楽しみ】春夜喜雨(春夜、雨を喜ぶ)

 好雨知時節、當春乃発生、随風潜入夜、潤物細無聲、野径雲俱黒、江船火獨明、暁看紅湿處、花重錦官城

 好雨(こうう)時節を知り、春に当って乃(すなわ)ち発生す。風に随いて潜(ひそ)かに夜に入り、物を潤(うるお)し細(こま)やかにして声無し。野径(やけい)雲は俱(とも)に黒く、江船(こうせん)火は独り明らかなり。暁(あかつき)に紅の湿れるを看れば、花は錦官城(きんかんじょう)に重からん

 詩に云う。よき雨は、降る時節を知っているのか、まさに春に降って、新しい命を発生させる。雨は風の吹くまま、ひそやかに夜まで続いた。その様子は、こまやかに万物を潤して雨音もたてない。野の小径も、雲と同じように暗く、江上の船の漁火だけが明るく見える。明日の夜明け頃に、赤く湿ったところを見たならば、それはきっと錦官城(成都)の花がしっとり濡れて、重くなっている情景であろう。

 杜甫(712~770)このとき50歳くらい。四川省成都の郊外に草堂をかまえ、家族や子どもたちと平穏に暮らしていた。苦難の多い杜甫の生涯のなかで、最もゆるやかで幸福な時が流れていたといってよい。

 それというのも、唐の最盛期も過ぎたこの時期、他の地方では飢饉におそわれ戦乱も頻発していたが、四川の成都は、そうした国難から隔絶されており、豊かな資源と産物に支えられて引き続き太平の世を謳歌できたからである。

 そんな夢の国のような成都で、杜甫の目に映った春夜の雨は、まことにやわらかく、万物を潤して開花させる恵みの雨であった。杜甫にしてみれば希少といってもよい、心からの「喜び」を詠った詩である。

 この後に最晩年をむかえる杜甫は、自身の多病や家族の不幸が重なり、再び流転の生活にもなって、何を見ても涙を流すような悲嘆の詩が続くことになる。それがまた杜甫の詩らしくて良いのだが、成都で過ごした5年の安息が杜甫にとって何よりも大切な時間であったことに改めて共感させられるのである。

 杜甫が成都で過ごした草堂のあった地は、今日では「杜甫草堂」という騒がしい観光地になってしまったが、本来は、静かな桃源郷であったはずだ。30数年前に、その場所を訪れたことがある。詩聖・杜甫の面影を竹林に探したが、影さえもなかった。

(聡)