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【歌の手帳】小舟の運命

 世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも(金槐集)

 源実朝(1192~1219)の歌です。小倉百人一首にもある歌ですが、これが難解な一首で、考えれば考えるほど、何だか歌中の小舟が遠ざかるような気がするのです。

 通常の解釈として例を挙げると「世の中は常に変わらぬものであってほしいなあ。今この渚を漕いでいく海士の小舟の、綱手を引く様子が悲しく感じられることよ」。また別解として「世の中はいつもこうであってほしいものだ。波打ち際を漕いでいく漁師の、小舟の手綱を引く姿の、いとおしいことよ」。

 古語「かなし」には、「愛(かな)しい、いとおしい」と「悲しい」の両義がありますが、そのどちらでこの歌を理解するかによって、全く解釈が変わってきます。いずれにしても、なぜ作者は世の中が変わってほしくないのか、小舟とは何か、なぜ「かなし」なのか。そうした具体的内容とともに、実朝が歌に描いた情景とそこに込めた切なる思いが、通常の解釈では、どうも私の腑に落ちないのですが、皆様はいかがでしょうか。

 鎌倉時代は約150年つづきましたので、決して短くはありません。しかし、徳川の江戸期とは違って、創業者である源頼朝の直系は、頼朝後わずか2代の将軍しか数えられず、いずれも短期で非業の死を遂げています。

 兄は頼家、弟が実朝。二人は源頼朝が北条政子との間にもうけた男子であり、頼朝が落馬事故で急死すると、18歳の頼家が第2代の「鎌倉殿」つまり征夷大将軍になります。ところが、頼家の後ろ盾である比企氏と実朝を担ぐ北条氏との勢力争いから戦闘となり、比企氏は滅亡。23歳の頼家は伊豆へ幽閉された後、母の実家である北条氏の刺客に暗殺されるという悲劇に見舞われます。

 兄より10歳下の実朝は、そうした血腥い政変のなかで、自身の置かれた立場と言うものを思い知ることになりました。実朝は、自分が望むか否かに関わらず、殺された兄と同じ将軍にならざるを得なかったのです。まだ12歳の子どもでした。

 実朝は、決して虚弱ではなく、武芸もそこそこできたのですが、武芸より和歌を好みました。私は、源実朝という若者の運命を想像しながら冒頭の一首を読むとき、その実像がようやく焦点を結ぶように思うのです。

 そこで歌意「世の中が(血を流すことなく)変わらずにあってほしい。漁師が手綱で引く小舟のように、将軍の我が身も運命に引かれていく。そんな自身が悲しく思われる」。いかがでしょう。

 実朝はまた、こんな「夢」を実行しようとしました。当時の中国、宋への渡航です。由比ガ浜に大船を本当に建造させましたが、その船は砂浜に腹ばったまま海には浮かばず、実朝の夢とともに朽ちて消えました。

 将軍職を捨ててでも宋へ脱出したかった実朝は、鶴岡八幡宮を退出する際、闇のなかから豹のように躍りかかってきた頼家の子・公暁に、首を奪われて死亡します。享年28歳でした。

 世の中の無常を知れるその後に露と消えにし人ぞかなしき

(敏)

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