(Greg Walters/Creative Commons)

チベットの光 (6) 報復の決意

 ウェンシーの母は、ウェンシーに手に職をつけてもらい、人より抜きんでて、二度と騙されて人の顔色を見て生活しなくてもいいようにと願った。彼女と妹のプダは、働き口を見つけて日銭を稼ぎ、ウェンシーの学費を賄うと、後は爪に火をともすような生活であった。元来、彼らの生活は王侯貴族のようなものであったが、現在では一般の村民にも及ばないもので、絶えず人の顔色を伺いながら、頭を下げて低賃金の重労働に喘ぎ、世間の白眼視と相次ぐ冷笑に甘んじなければならなかった。毎日が食うや食わずで、一食さえもままならないことがあった。

 この高地には、チベット仏教ニンマ派のラマ(大衆を指導する師)がいて、当地の人々の崇敬を集めていた。この時代は、人心が純朴で、いまだ人々が神仏の霊験を信じていた。1000年前、科学技術が未発達であったので、人々は天災人禍に遭うと、こういった僧侶に法要祈祷を頼んでいた。当時のチベットは、畑作と牧畜を営んで主たる糊口としていたので、牧畜の瘟疫や雹などが降る天災を何よりも恐れていた。ラマが法要祈祷をすると、時としてこうした災難が解消したり軽減したりしたので、人々はこれを尊敬していた。

 このニンマ派のラマは特に有名で、したがって法要祈祷で忙しく、ウェンシーの母はウェンシーを彼の元で学ばせていた。ある日、シャンツェ平原で盛大な宴席がもうけられ、このラマが上客として招かれ、楽しく痛飲した。ウェンシーもまた美酒を堪能して痛飲し、この輪の中にいた。ラマは、ウェンシーが酔ったのを見ると先に法要のために供えられた品々を廟の中に運び込むよう指示した。

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