チベットの光 (6) 報復の決意

 ウェンシーの母は、ウェンシーに手に職をつけてもらい、人より抜きんでて、二度と騙されて人の顔色を見て生活しなくてもいいようにと願った。彼女と妹のプダは、働き口を見つけて日銭を稼ぎ、ウェンシーの学費を賄うと、後は爪に火をともすような生活であった。元来、彼らの生活は王侯貴族のようなものであったが、現在では一般の村民にも及ばないもので、絶えず人の顔色を伺いながら、頭を下げて低賃金の重労働に喘ぎ、世間の白眼視と相次ぐ冷笑に甘んじなければならなかった。毎日が食うや食わずで、一食さえもままならないことがあった。

 この高地には、チベット仏教ニンマ派のラマ(大衆を指導する師)がいて、当地の人々の崇敬を集めていた。この時代は、人心が純朴で、いまだ人々が神仏の霊験を信じていた。1000年前、科学技術が未発達であったので、人々は天災人禍に遭うと、こういった僧侶に法要祈祷を頼んでいた。当時のチベットは、畑作と牧畜を営んで主たる糊口としていたので、牧畜の瘟疫や雹などが降る天災を何よりも恐れていた。ラマが法要祈祷をすると、時としてこうした災難が解消したり軽減したりしたので、人々はこれを尊敬していた。

 このニンマ派のラマは特に有名で、したがって法要祈祷で忙しく、ウェンシーの母はウェンシーを彼の元で学ばせていた。ある日、シャンツェ平原で盛大な宴席がもうけられ、このラマが上客として招かれ、楽しく痛飲した。ウェンシーもまた美酒を堪能して痛飲し、この輪の中にいた。ラマは、ウェンシーが酔ったのを見ると先に法要のために供えられた品々を廟の中に運び込むよう指示した。

 このときウェンシーは既に酒によって酩酊し、千鳥足となって右に左にふらつきながら廟のほうへと歩いて行った。歩いているうちに、彼は突如として宴会で歌った歌を思い出し、思わず自ら禁じていたのに口ずさみだした。

 彼は生来声もよく、人々が聞き惚れていたものだが、父親が亡くなってからは言葉少なになり、笑顔もなくなり、歌を歌うこともなくなった。母と妹のプダの艱難辛苦を目にし、いつも飢餓や寒さに苦しんでいると、何か喉に石でもつかえたようであり、歌うことができなくなっていたのだ。

 この日、彼は酩酊して、母の苦労や、ただ腹を満たし、彼の学業を支えるために母と妹が粒粒辛苦として働いていることや、浮世の辛酸をすっかり忘れてしまった。彼は痛飲し、他の人を忘れ、このために大きな間違いを犯し、一生を変えることになるとは思ってもみなかったのである。

(続く)
 

(翻訳編集・武蔵)