古代中国の神秘的な天文官「欽天監」
古代エジプト人は、太陽とシリウスの位置を観測することによって、ナイル川の増水期を判断していました。古代メソポタミア(現在のイラク)で大規模に建築された建築物は、天体観測を目的としたジッグラト(天文台)でした。中国においては、2000年以上前の戦国時代から星図が応用されていました。中国では古代から清王朝に至るまで、天文現象を観測し、天の意志を予測する部門と人員が絶えずに存在していました。
このような仕事をする人々は、明王朝で「欽天監(きんてんかん)」と呼ばれていました。「欽天監」はいささか神秘的な役職です。明王朝は最初、元王朝の旧制を踏襲し、この官職を「太史監」と称し、後ほど「太史院」と改称されました。そして最終的には「欽天監」と名付けられました。天の意思を探るため、北京と南京の南東方向に観象台(天文台)が建てられ、中に「渾天儀」と「簡儀」などの天文学用の設備が設置されました。欽天監には「監正」(台長)が一人、「監副」(副台長)が二人配属され、天文現象を把握し、暦法を定め、天体の運行を推測し、占いを行います。太陽、月、星、風と雲などの天文現象は全て欽天監の術官(天文学者)たちが観測します。欽天監は天象の異常を観測したとき、天の警告としてそれを文書に記録し、皇帝に伝えます。
欽天監には、春、夏、中、秋、冬というの五つの「官正(かんせい)」が一人ずつ配属されており、その五つの官にはそれぞれ「霊台郎(れいたいろう)」が八人、「保章正(ほしょうせい)」が二人、「挈壺正(けっこせい)」が二人、「監候(かんこう)」が三人、「司暦(しれき)」が二人、「司晨(ししん)」が八人、「漏刻博士(ろうこくはかせ)」が六人配属されます。「官正」は、「司暦」と「監候」の補佐をもって暦法と四季を推算し定めます。「霊台郎」は太陽と月、星辰の躔次(てんじ、天体が運行して占める位置)をわきまえ、天文現象の変化を把握します。「保章正」は天文現象の変化をもって吉凶判断を行います。「挈壺正」は刻漏(こくろう)を司り、明け方と夕刻の中星(ちゅうせい、中天の南方にある星)の位置を観察します。「漏刻博士」は、「司晨」の補佐をもって、漏刻を観測し、「時牌(じはい)」を交換することで時刻を知らせ、夜になると更を知らせる鼓を打ち鳴らし、朝になると晨旦を知らせる鐘を打ち鳴らします。欽天監の観象台の東西南北の4方向には、それぞれ四人の「天文生(てんもんせい)」が交代で観測します。