高潔な美女 王昭君
古代中国の四大美人と言えば、西施(せいし)、貂蝉(ちょうせん)楊貴妃(ようきひ)、王 昭君(おう しょうくん)。権力者を翻弄する程の美貌を兼ね備えた彼女たちは皆、波乱万丈の人生を送りました。今回は、誠実で高潔だったという王昭君の物語をご紹介します。
およそ2000年前、前漢の元帝の時代、王昭君は宮中に仕えていた。歴代の皇帝たちと同じく、元帝にも後宮があり、数千人の美しい女性たちが控えていた。そのため、元帝に会いまみえるのは、ほんの僅かの女性だった。
宮廷には似顔絵師がおり、元帝は彼が描いた後宮の女性たちの絵を見ては、誰と会うかを決めていた。女性たちは元帝に会うチャンスを得るために、こぞって似顔絵師に賄賂を送り、自分をより美しく描くよう要求した。似顔絵師はこれにより、女性たちから賄賂を取り立てることを常とした。
一方、王昭君はただ一人、決して似顔絵師に賄賂を贈ろうとしなかった。怒った似顔絵師は、わざと彼女を醜く描いた。そのため、王昭君は非常に美しかったにも関わらず、元帝から声がかかることは一度もなかった。
数年後、勢力を拡大していた遊牧国家の匈奴(きょうど)の呼韓邪単于(こかんやぜんう)が、漢の女性を君主の妻にしたいと元帝に依頼した。長い間、匈奴との戦いに苦しんでいた漢はこれを受け入れ、似顔絵の中から一番醜い女性である王昭君を選び、彼女を差しだすことにした。
王昭君が元帝との別れを告げる儀式に現れると、元帝は目を見張った。それは、似顔絵とは似ても似つかない、絶世の美女だった。元帝は地団駄踏んで悔しがったが、約束を撤回することもできず、しぶしぶ王昭君を嫁がせることにした。その後、匈奴に渡った王昭君は呼韓邪単于との間に一男をもうけた。
一方、似顔絵師は、賄賂を贈らなかった王昭君をわざと醜く描いていたことが発覚し、元帝の怒りをかい市中引きまわしの上、死刑に処されたという。
王昭君が嫁いでから三年目、単于が亡くなると、匈奴の慣習にしたがって今度は親王の妻となり、さらに女子二人をもうけた。現在、王昭君の墓はフフホト(モンゴル語で青い城を意味する)市の山のふもとにある。その墓には彼女の像が建てられており、いつしか「青塚」と呼ばれるようになった。それは匈奴の地では白い草しか生えず青い草は中国の地にのみ生えるものらしいが、王昭君の墓の周辺だけはいつも枯れることなく緑の草木が満ちているからだという。彼女の故郷を想う哀愁が草木に宿ったのだろうか。
(翻訳編集・郭丹丹)