清の時代、中国の紹興地区に、何河帥(か・かすい)という人がいました。
彼は生まれつき豪放な性格で、束縛を嫌いました。若い頃は放蕩無頼(ほうとうぶらい:道徳的にだらしなく、ルールを守らずに自由すぎる生活をすること)で、お金を惜しみなく使い果たし、ついに住むところも失ってしまいました。
妻の実家は裕福でしたので、家族を連れて義兄の家に居候しました。しかし間もなく、悪習が断ち切れなくて、またもや義兄の財産まで酒と賭博に使い尽くしてしまいました。
その後、あちこちから借金をし、数千両ものの銀錠(中国古代の貨幣)という大金を手に入れ、これを使って都(北京)へ行き、官職を買おうと考えました。しかし都に着いてからも相変わらず遊び歩き、宴に明け暮れていた毎日を送っていたため、わずか一年も経たないうちにまた金は尽き果てました。
さらに膿瘍ができてしまい、全身にも広がりました。付き人たちも皆逃げ出し、一人のホームレスが暮らしている廃れたお寺に身を置いてもらいました。
ホームレスは、物乞いして得た食べ物を分け与え、さらに薬草も見つけて彼を治療しました。およそ一ヶ月後、ようやく回復しました。ホームレスは言いました。
「あなたの顔を見ると、長く貧困に悩まされるような人ではないはずです。早いうちに職探しをした方がいいですよ」
何河帥は「ボロボロな服で、人に顔をむけられない」と答えました。するとホームレスは、「それなら心配いりませんよ。私は日ごろ物乞いをしながら、少しずつお金を貯めていました。使い道がなかったので、それを使いなさい。服や帽子を新調するといいでしょう」と言って、お金を彼に渡しました。
こうして何河帥は身なりを整え、再び都へと向かいました。そして、役所での職を求めて奔走しました。ある日、街を歩いていると、債権者たちに見つかり、返済を迫られて追い回されました。彼は必死に逃げ出し、玄関が開いていた大きな家に駆け込みました。屋敷の中はひっそりと静まり返っており、何河帥はそのまま屏風の裏に身を隠しました。
そこには一人の老婦人が座っていました。
彼はひざまずき、自らの境遇を涙ながらに訴え、助けを求めました。老婦人は彼を哀れに思いましたが、その時、債権者たちが玄関の外にまで迫って来ました。老婦人はドアを開け、「私はこの家に住んでいる未亡人だ。この家にこれだけの人数の男が入ったことは一度もない。お前たちは一体何の用があってここへ来たのだ!」と彼らを叱責しました。
それを聞いた債権者たちは、道を間違えたと思い込んで、騒ぎながら散っていきました。
老婦人はドアを閉じ、何さんに名前や出身地などを問いただしました。何河帥はこれまでのいきさつを正直にすべて語り、改めて老婦人に感謝を述べました。
老婦人は言いました。「私の名前も何という、代々農業を営んできた家柄で、畑もかなり持っている。若くして夫に先立たれ、その時、子供が一人できた。しかし、二十四歳の時にその子は亡くなってしまった」そして、続けて尋ねました。「あなたはこれからどこへ行くつもりなのか?」
何河帥は、「天涯孤独で、行くあてもありません」と答えました。
老婦人は、「もし私の子供になってくれるなら、あなたの将来は私が計らってあげましょう」と言いました。何河帥は、債権者から救われた恩義もあり、また行き場もなかったので、彼女を母と仰ぎ、子として老婦人を拝みました。
その後、老婦人は彼のために河川を管理する兵士の職を取り計らいました。何河帥は河川の流れを調べ、地形をくまなく視察し、重要な場所や大事な要害をすべて把握していました。おかげで、河川工事や水利事業の担当を命じられる際に、迅速且つ的確に業務を遂行できました。その働きが認められ、ほどなくして「千総」(せんそう:軍の下級士官、六級)に昇進しました。
乾隆皇帝の時、黄河が決壊し、皇帝自ら視察に現場に臨みました。何河帥は石景山の「同知」(どうち:副知事、五級)と共に皇帝を出迎えました。皇帝は黄河決壊の状況を尋ね、詳しい対策も求めました。同知は一言も答えられず、ただ呆然としたばかりでした。
その時、何河帥は状況を詳しく報告し、指で地図を指しながら、口が止まることなく対策を説明し続けました。冷静沈着を保ちつつ、重要なポイントを一つも漏らすことはありませんでした。皇帝は聞き終わると、怒りをあらわにし、言いました。
「河川の治水のために専門の役職を設けたのは、このような事態に適切に対処させるためである。だが、いざ問題が起きると、見ている通り、同知はまったく役に立たず、理解できない。一方で、軍人の方がよほど有能ではないか! いっそ、二人の職を入れ替えよ!」
皇帝の信頼を得た何河帥は、数年も立たないうちに河川総監督へと昇進しました。赴任先では慎重に治水を行い、洪水時には排水を優先し、普段から堤防を固め、人員配置も整理し、災害への備えを万全にしました。
おかげで、その後、黄河は決壊することありませんでした。何河帥の施策は後世の見本とされました。また、かつての恩人への感謝も忘れず、老婦人を迎えて母親として親孝行を尽くしました。
そして、彼を救ったホームレスも軍に招き入れ、「百夫長」(ひゃくぶちょう:百人を率いる士官)に推薦し、その後、游撃(ゆうげき:清の士官、三級)へ抜擢しました。
出典:『妙香室叢話』
(翻訳編集 正道勇)
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