怨恨を水に流す
隋王朝の末期、杜如晦(とじょかい)は叔父の杜淹(とあん)と共に、当時割拠していた群雄のひとり、王世充(おうせいじゅう)に仕え、唐軍と戦った。当時、杜淹は杜如晦とその兄弟を憎んでおり、王世充の指示のもとに杜如晦の長兄を殺害し、杜如晦を投獄した。しかし、杜如晦は叔父に対して恨みを持つことはなかった。
後に唐王朝を確立した李世民(598 – 649 AD)が王世充を打ち負かすと、敵軍で活躍していた杜淹は捕らえられ、投獄された。
李世民の相談役だった杜如晦の兄・杜楚客(とそかく)は、長兄を殺された恨みから、杜淹を死刑に処するべきだと考えた。しかし、杜如晦は涙を浮かべて兄に懇願した。「叔父は私たちの兄を殺しましたが、その見返りとして我々が叔父を殺せば、一族が殺し合うことになりましょう。それは絶対に避けなければなりません」
杜楚客は弟の言葉に心を打たれ、涙を呑んで恨みを水に流すことにした。杜楚客は李世民に、杜淹を釈放するよう助言した。
626年、李世民は太宗となり唐王朝を確立すると、杜淹(とあん)を朝政に参加させ、重要な任務に就かせた。杜淹の推薦により、40人あまりの優秀な官僚が昇進し、朝廷を盛り立てた。
その後、杜如晦はしばらく遁世していたが、630年、中央に呼び戻され、重要な任務についた。しかし、杜如晦は重大なミスを犯してしまった。彼は、太宗の四番目の息子を手伝って朝臣に賄賂を渡していたのだ。
後継問題にかかわる杜如晦の行為は死罪に値するほどだったが、太宗は彼を咎めず、心にとどめることにした。その代わりに、太宗は杜如晦を県の長官に任命し、功績によって過ちを償わせることにした。死罪を免れた杜如晦は、恩に報いるために、必死に働いた。過去に叔父を死罪から救った杜如晦は、こうして自分も許されることになったのだ。
多様な民族と文化を受け入れ、繁栄した唐王朝。人々は他人の過ちを許し、寛容になることで互いの怨恨を解き、中国史の黄金期を築いたのである。
(翻訳編集・郭丹丹)