裏切り、中傷、権力争い…陰謀の渦巻く中国の王朝には、数多くの賢人や英雄がいる一方、ずる賢い佞臣もたくさん登場します。狡猾なやり方で多くの政敵を失脚させた人物をご紹介します。
唐玄宗の時代、宰相の李林甫(り・りんぽ)は、楊慎矜(よう・しんきょう)という有能な官僚が玄宗に気に入られているのを見て、嫉妬していました。李は、楊慎矜の政敵をそそのかし、楊慎矜が怪しい術を行っているというデマを流させました。
李は更に楊慎矜を貶めるため、楊慎矜の腹心を拷問にかけて偽証させようとしましたが、何も得られませんでした。そこで、李は楊慎矜と親しかった術士の史敬忠(し・けいちゅう)を操り、楊慎矜が唐王朝の転覆を企んでいると言わせました。また、怪しげな讖書(予言書)がさも楊慎矜の家から見つかったように偽装し、それを信じた玄宗の怒りに触れました。その後、楊慎矜とその兄弟は自殺に追い込まれ、妻子は流刑に処されました。
李林甫はその他にも多くの人物を策略で貶めて失脚させました。彼は通常、人前では非常に愛想がよく、世辞を言うことに長けていましたが、腹の中では常に企んでいたと伝えられています。
口蜜腹剣(こうみつふくけん)ということわざは、この故事から生まれました。
(文・郭丹丹)
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