弟子規/大紀元

弟子規(12)

朝(Cháo) 起(qǐ) 早(zǎo),夜(yè) 眠(mián) 遲(chí);

老(Lǎo) 易(yì) 至(zhì),惜(xī) 此(cǐ)時(shí)。

晨(Chén) 必(bì) 盥(guàn) ,兼(jiān) 漱(shù)口(kǒu);

便(Biàn)溺(niào) 回(huí),輒(zhé) 淨(jìng)手(shǒu)。

【注釈】

(1)朝:朝早く。

(2)眠:床に就く。就寝する。

(3)遲:夜遅く。

(4)易至:すぐに至る。

(5)惜:惜しむ・

(6)時:光陰、時間。

(7)盥:洗面して、手を洗う。

(8)兼:同時に、一緒に。

(9)便溺:便所で用を足す。

(10)輒:毎度。

(11)淨手:手を洗う。

【日文参考】

朝は早くから起き、夜は多めに学習に時間を費やしてから就寝するようにする。人の老いるのは早いため、時間を惜しまなくてはならない。朝早く起きたら、必ず洗面を済ませ、口を漱ぎ、歯を磨く。便所で用を足したら、必ず手を洗うようにする。

【参考故事】

《晉書·卷六二·祖逖列傳》によると、祖逖(そてき、字は士稚、266生年-321没年)は、范陽遒縣(現在の河北省淶水縣)の人であり,性格は豪放磊落、人のために俠義心を奮っては、貧苦の人々を救っていたので、人々から尊敬されていた。當時の西晋は、國家情勢が內憂外患で、祖逖は立志して國家のために盡力し、動亂を平定しようとしていた。

彼とその朋友の劉琨が一緒に司州を任されていた時分、志が同じであったため、二人は起居を共にし、互いに励ましあっていた。當時、兩人の眼で看たものは、胡人が南侵し、國は破れ、心の裡は非常な悲憤で溢れ、立志して國家に報いたいという思いであった。

あるとき、祖逖は夜半に鶏が鳴くのを聴いたが、夜はまだ明けていなかった。しかし彼は時間を惜しみ、大切に使わねばならないと自覚して、隣で寝ていた劉琨を起こして言った。「鶏が鳴いたのを聴いたか?これはわれわれの志が果たされる吉兆にちがいない。早く起きて練武をしよう」。こうして、二人はいまだ夜の明けぬうちから、剣を奮って毎日武芸を磨いた。

後に祖逖は皇帝から称賛され、大將軍の任を命ぜられ、兵を率いて動乱を平定し、失った国土の多くを回復して、国に報いる心願を成就させた。 

(竜崎)

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