弟子規/大紀元

弟子規(26)

人(Rén) 有(yǒu) 短(duǎn),切(qiè)莫(mò) 揭(jiē);

人(Rén) 有(yǒu) 私(sī),切(qiè)莫(mò) 說(shuō)。

道(Dào)人(rén) 善(shàn),即(jí) 是(shì) 善(shàn);

人(Rén) 知(zhī) 之(zhī),愈(yù) 思(sī) 勉(miǎn)。

揚(Yáng) 人(rén) 惡(è),即(jí) 是(shì) 惡(è);

疾(Jí) 之(zhī) 甚(shèn),禍(huò) 且(qiě) 作(zuò)。

善(Shàn) 相(xiāng)勸(quàn),德(dé) 皆(jiē) 建(jiàn);

過(Guò) 不(bù) 規(guī),道(dào) 兩(liǎng) 虧(kuī)。

【注釈】

(1)短:欠点。

(2)切:かならず。

(3)莫:してはならない。

(4)揭:公開する。露呈する。

(5)私:秘密。

(6)道:言う。口にする。

(7)善:良い事。

(8)思勉:さらに向上するようとする。

(9)揚:宣伝する。

(10)惡:悪い事。過ち。

(11)疾之甚:相手の過ちを過度に私的して打撃を加えること。

(12)禍且作:自己に災難を招来する。

(13)善相勸:お互いに切磋琢磨して向上する。

(14)德:品行、修養。

(15)規:勸告する。

(16)虧:損失。

【日文参考】

他人の欠点や過ちを不用意に宣揚してはならない。他人の秘密を知ったら、これを追及したり、いたるところで言いふらしたりしない。他人の長所を聞き及び、これを褒めるのは、一種の良い行為である。褒められた人は、これを知ることによって、さらに向上しようと励まされるからである。他人の過ちを言いふらすのは、一種の良くない行為である。もし相手が過度に批評されているのを知ったら、自分に災難を招くからである。

朋友の間では、一緒に良いことをするよう励むべきである。このようにしていれば、品徳と修養はだんだんと向上してくるものである。もし朋友が過ちを犯しているのを発見して、これを指摘しなかったら、それは過ちのうえにさらに過ちを犯していることであり、お互いに品行を損失しているものである。

【参考故事】

齊の桓公が在位の時、霸業を完成するため四處に人才を広く求めた。寧戚という人物が才能と品格に秀でているのが分かると、彼を非常に褒め、重要な職務に任命しようと準備した。側近の群臣はこれを知ると、先を争うようにして、齊の桓公に進言した、「寧戚は元より衛国の人です。大王は人を遣わし、衛国で彼の評判を聞くべきです。もし彼の才徳が本当なら、その時に彼を重用しても遅くはありません」

齊の桓公は答えた、「そのような行為はよくないだろう。誰でも小さな過ちは犯すものだ。一般人は小さな過ちをよく覚え、人の大きな才能や美徳は忘れがちなものだ。これが過去の君王の多くが人材を探しきれなかった原因だ」。そして、桓公は即刻儀式を執り行い、寧戚を卿相という重要な職務につけた。

後に寧戚は才能のある人物であることを自ら証明し、彼の働きによって、齊の桓公は霸業を完成することができた。ここに、齊の桓公の大きな見識と器量を見ることができるが、彼が春秋戦国時代においてその霸業を達成できたのは、人をよく用いてその才を外に求めたというほかに、人の長所を取って人の短所を忘れたところにある。

(竜崎)

関連記事
われわれが書見をする書斎は整理整頓を心がけ、壁も乾燥させ、きれいにしておくこと。大小の机も清潔に保ち、机の上の文具もきちんと置いておく。墨を摺る時は心を専一にし、墨が偏って減らないように注意する。偏って減るときは、心ここにあらずという状態になっている証拠である。字を書く時は慎重に書く。随意に間違った字を書くのは、既に心性に問題が生じている。
読書をするには、三つの事をしっかりやる必要がある。心で考え理解し、目で見て確認して、口で唱え音読するのである。この三つは非常に重要である。この一書を読み終わらないうちは、別の一書を想ってはならない。読書の計画には余裕があってしかるべきであるが、読書の時には集中力が必要である。時間と労力を費やせば、分からない個所も自然と通じるものである。読んでいてもし心に疑問が湧いたら、即刻に筆記して書き留めておき、人を探して本当の意味を確認しておく。
およそわが身をもって実行しないものは、本の上だけで知識を得て応用を知らないものであり、実践的ではなく、将来どのような人になるか皆目見当もつかない。しかし、盲目的に物事をやってしまって、本の上から知識と経験を学ばないものは、頑固に自分勝手を通しているだけであり、かえって本当の道理を理解できないものである。
人間は同じように見えるが、その性情は大いに違う。大多数の人は平凡であるが、本当に徳性に度量があって高尚な人は極めて少ない。もし、本当に徳性が優れていて高い人であれば、皆が彼を尊敬する。なぜなら、彼はこびへつらって人にとりいったり、嘘偽りで人に付け入ったりしないからである。
家の男女の使用人に対するとき最も重要なことは、自身の言行を端正無私にし、かつ慈しみを厚くして度量を大きくし、苛めたり圧力を掛けたりしない。