【掌編小説】岐路で泣く 『蒙求』より
楊朱(ようしゅ)は、その分岐点に立ったまま、もう久しく泣いていた。
長い一本道を歩いてきたが、少し視界が開けた老松のある場所に至ると、そこから道が北と南へ分かれていた。南北それぞれの道が、まるで別の宇宙へ続くように、千万里の果てまで伸びているのだ。
楊朱は、南北へ分かれ去ってゆく道のありさまが、あまりに悲しくて、そこで泣いていたのである。
「なぜ私は、ここで泣いているのだろう」という疑問の存在に気づいたのは、泣きながら、しばらく経ってからだった。たしかに、この岐路に立つと、その道の選び方ひとつで全く異なる世界へ行ってしまうことが、背骨がきしむほどの痛みをともなって楊朱には感じられる。
北へ行くか、南へ進むか。その判断の当否を突きつけられるのが、楊朱にとって怖いわけではない。岐路とは元来そういうものであることが、感受性の塊のような人物である楊朱にとって、あまりにも現世の無常というものを訴えてくる。現代の私たちとって、そのように想像するしか、この場面における彼の心情を理解する方法はないだろう。
「私はこれまで、心のままに、ただ正直に生きてきた」と、楊朱は自身の半生を振り返っていた。そのことに悔いはないが、自己の志を遂げたとはとても言えない。
あるとき、儒家の「亜聖(あせい)」といわれる孟子(もうし)と論争した。亜聖とは、聖人・孔子に次ぐものの意だが、楊朱の目には、ただの形式論者にしか見えなかった。
所詮その説くところの道徳は、自身の地位のため、子孫のためという、俗っぽい目的をもった加算術ではないか。それが楊朱の孟子に対する結論だったが、楊朱自身は、どの諸侯からも食客として受け入れられず、貧困と飢餓のなかで放浪し、こうして道をよろめきながら歩いてきたのである。
楊朱は、その場所から動けなくなった。疲労や空腹のためではない。足の裏が地面に貼りつき、根が生えたようで、離れないのだ。ふと見上げると、頭上の老松の、横に張り出した枝が二本、北の道と南の道をそれぞれ指している。
「ああ、私に、二つの道を指すのか」。楊朱は、再び涙を流して泣いた。
百年後、その場所には二本の老松が立っていた。楊朱も、松になったらしい。
(鳥飼聡)