孟母の教育哲学ー時を超えて学ぶ親の教え
孟母三遷や竇燕山の教えが示す、子どもの教育の重要性。善を教え、徳を積むことで、人生の成功と幸福を導く儒教の知恵に迫ります。
仁愛の士は天下に敵無し(下)
庶民にしてみれば、陛下は今、仁愛の情を動物に施されましたが、自分たちには施してもらっていません。
仁愛の士は天下に敵無し(上)
孟子(紀元前372年?-紀元前289年)は各国を周遊していた時、訪れた斉国で貴賓として迎えられました。あるとき、斉国の宣王(?-紀元前324年)が孟子に尋ねます。
中国は、なぜ「人助けができない国」になったのか?
中国は「人助けができない国」になってしまった。優しさや親切で人助けしても、かえって被害を受けたり、面倒に巻き込まれるケースがあるからだ。
君臣の道――礼 現代にも応用できる上司と部下の接し方【雅(みやび)を語る】
劉備は仁徳あることで有名です。関羽や張飛と兄弟のように接し、ともに数々の苦難を乗り越えました。諸葛亮を迎える際に三度も訪ね、死ぬ間際も、諸葛亮に対し、自分の息子がもし大事を成すことができる人なら補佐を頼むが、その器がないなら、取って代わっても良いと言ったのです。
誠意があれば、良い人脈ができ、良い人を引き寄せることができる
「誠意 」は、良い友人を作り、良い人を引き寄せる方法なのです。『礼記・中庸』には、「惟天下之至誠,為能化」という言葉があります。 つまり、世界で最も誠実な心だけが、人を変えることができるのです。 大げさに言えば、誠意とは、実は人と人をつなぐ架け橋なのです。
中国伝統文化と日本(六) 漢詩を遺した赤穂浪士
江戸時代の中期、元禄16年(1703)というと今から319年前のことになる。その2月4日(新暦3月20日)に、前年の12月14日に本所松坂町の吉良邸へ討ち入った赤穂46士が、が、幕命により切腹して果てた。
第2話:理想的な教育環境とは【子どもが人格者に育つ教え「三字経」】
『三字経』は中国で最も有名な儒教の古典の一つであり、宋の時代の偉大な儒教家である王応麟氏が最初に書いたもので、当時は私塾(現在の小学校に相当)の教科書として用いられていました。『三字経』には、儒教の根本から文学、歴史、哲学、天文地理などの内容が凝縮されており、まさに中国伝統文化の縮図のようなものです。
【掌編小説】岐路で泣く 『蒙求』より
楊朱は、その分岐点に立ったまま、久しく泣いていた。
親孝行できぬ者は官位に就くべからず
唐の時代、李皋(りがお、733~792年)が温州に在任していた時のことです。李が視察に出かると、年配の婦人がさめざめと泣いているのを見かけました。不憫に思った李は、婦人になぜ泣いているのかと聞きました。婦人は、「私には二人の息子がおります。名前は、李鈞(りじゅん)と李锷(りあ)です。息子たちは功名富貴を求めて故郷を離れ、二十数年も経ちましたが、一度も家に帰って来たことがありません。今の私は、たった一人で貧乏暮らしを送っています」
古代中国人の講じる「気節」とは
君子は「持節(じせつ)」、つまり気節を保つすることを大事にしていました。「気節」とは志気と節操という高尚な品格を指します。具体的に言うと、正義を貫き、威圧を前にしても決して屈しない頑強な精神を持つことです。
『三国志演義』にちなんだ偉大な男・関羽の話
中国の歴史上、最も尊敬される人物の中には、あの有名な「関羽」が挙げられます。関羽に対する崇拝は三国時代からすでに始まりました。当時、関羽が亡くなってから、魏、呉、蜀三国は共に彼に尊敬の意を表しました。孫権は関羽の首を曹操へ送り、曹操は諸侯の礼を持って彼の首を洛陽に葬りました。一方、孫権は諸侯の礼をもって彼の胴体を当陽に葬り、蜀漢は成都で彼の装束を埋葬する墓、すなわち成都に関羽の墓を作りました。そのため、民間の間では「関羽は洛陽を枕にして眠り、体は当陽に横たわり、魂は故郷に帰した」という言い伝え
中国伝統美徳物語(孝行編)その一「虞舜は畑を耕す」
尭(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)は古代中国の著名な三皇帝です。彼らは皆極めて高い道徳基準で身を律っしていたため、四方から推薦されて帝位にまで上がった人物でした。その中の、舜は「孝に極まる」ことによって天地を感動させ、尭帝に後継者として選ばれました。そして、舜の話は歴代の孝行物語の一番としても挙げられ、語り継がれています。
孟子に言う 立派な男とは
昔、景春という人が孟子に言った。「公孫衍、張儀こそが真の大丈夫(立派な男)とは言えませんか?二人が一旦怒り出しますと、各国諸侯はびくびくして落ち着かなくなります。彼らが毎日平穏となるでしょう。」
孟子が自分を恥じる
生活様式が床から椅子へ移り変わった中国では、『正座』という習慣が途絶えてしまってから久しいものがあります。しかし、礼儀正しい座り方としての『正座』というものが、かつて中国にも存在していました。
【動画】毎週一字(5):義
義(ぎ)は、人間の行動・志操・道徳で、「よい」「ただしい」とされる概念である。儒教における義は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)の一。
【動画】毎週一字(4):仁
儒教の中核となる五常の徳の一つ、「仁」。人偏に「二」と書いて、人間関係の基本、つまり他人に対する慈悲と思いやりを表します。
孟子と荀子――儒学の発展と変容
孟子(前372年?~前289年)は戦国時代の魯(山東省)の人であり、思想家で孔子に次いで亞聖と称される儒教の重要な人物である。そのため、儒教はまた「孔孟の教え」とも呼ばれる。
【漢詩の楽しみ】 偶成(ぐうせい)
【大紀元日本12月11日】少年易老学難成一寸光陰不可軽未覚池塘春草夢階前梧葉已秋声 少年、老い易く、学成り難し。一寸の光陰、軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢。階前(かいぜん
【中国伝統文化】誤りから学ぶ
【大紀元日本1月1日】人間は、どんなに賢くても間違えることがある。古代中国では、「君子」と呼ばれる人であっても、間違いを犯すことがあったが、間違いを犯すかどうかより、その間違いを正し、そこから学ぶこ
【歴史物語】一人前の男とは何か
昔、景春という人が孟子に言った。「公孫衍、張儀こそが真の大丈夫(立派な男)とは言えませんか?二人が一旦怒り出しますと、各国諸侯はびくびくして落ち着かなくなります。彼らが毎日平