孟子が自分を恥じる

生活様式が床から椅子へ移り変わった中国では、『正座』という習慣が途絶えてしまってから久しいものがあります。しかし、礼儀正しい座り方としての『正座』というものが、かつて中国にも存在していました。

中国の春秋戦国時代の思想家・孟子(紀元前372年頃~紀元前289年頃)は帰宅した時、脚を崩しお尻を着けて座っている妻の姿をしばしば目にするようになりました。そして、内心では不快な想いを抱くようになりました。ある日、孟子はこのことを実の母に相談してみることにしました。

孟子:「妻は礼儀をわきまえていません」
母 :「なぜそう思うのですか?」
孟子:「私が帰るといつも脚を崩しています」
母 :「どういう状況なのですか?」
孟子:「部屋に入ると目に入ります」
母 :「それは彼女が礼儀を知らないのではありません。礼儀を知らないのはあなたの方です。人がいる部屋に入る前には、少しだけ戸を開け、『よろしいですか』と中にいる人に声をかけるものです。客間に入る時にも、入るということを告げてから入るものでしょう。これらのことは『礼経』にも書かれています。人が休んでいる部屋にいきなり入っていったならば、相手は無防備な状態にあるのです。失礼なことをしているのはあなたであるのに、どうして他人を無礼だなどと言えるのでしょうか」

このエピソードは、人は表面的な「礼」にのみとらわれるのではなく、「礼」というものの内包を理解することが、肝要であるということを教えてくれています。

誠実、尊敬、謙譲、配慮といった諸々が、「礼」の本質には含まれています。この内包に欠けたならば、それはすなわち「無礼」となってしまうことでしょう。「礼」をもって和を尊ぶことで、人との調和を保つことができるとも言えます。「礼」の本質から目をそらせ、表に現れる形にばかりを注視していたということに、母の話を聞いて、孟子は気づいたのでした。母親に感謝すると共に、いかに自分が些細なことにとらわれていたのか――自分自身を恥じ、己の考えを改めました。寛容な心と相手を想い計る気持ちを忘れず、「礼」というものをより洗練させていく決心をしたのでした。

出典:『韓詩外伝

注:『韓詩外伝』(かんしがいでん)は、前漢の韓嬰(かんえい)による書物である。さまざまな事柄や故事を記し、関連する『詩経』の文句を引いて説明したもので、説話集に近い。現行本は10巻からなる。(ウィキペディア)

(文・雲開 / 翻訳・襄讓 / 編集・猪瀬)※看中国から転載