古代中国人の講じる「気節」とは

君子は「持節(じせつ)」、つまり気節を保つすることを大事にしていました。「気節」とは志気と節操という高尚な品格を指します。具体的に言うと、正義を貫き、威圧を前にしても決して屈しない頑強な精神を持つことです。

「気節」は、中国伝統文化の重要な一環であり、古代中国人の人格基準と道徳の準則です。歴史上数多くの聖人君子は、心の中にある道義と信念のために命すら惜しまず、決して屈しない姿勢を見せました。

孔子は、「自分の志を降ろさず、自分の身分を辱めない人と言えば、伯夷と叔斉の事でしょうか」①と、伯夷と叔斉が気節を保ってきたことに対し、高く評価をしています。伯夷と叔斉は、武力で殷王朝を滅亡させた周の武王に憤りを感じていました。自分は殷王朝の民だと考え、周王朝の食事を断固として拒否した二人は、首陽山に隠居し、やがて餓死しました。孔子は、高潔な志向を持ち、自らの信念を貫き、現実に妥協しないこの二人を高く評価しました。『伯夷列伝』を『史記』の70巻の列伝の第一巻にしたのも、著者の司馬遷の気節に対する称賛を示します。

孟子は、「富貴により堕落することなく、貧賤により志を変えることもなく、権威や武力にも屈することがない。このような男を大丈夫(だいじょうふ)と言う」②と述べています。これは孟子が考える、理想的な文人が持つべき人格であり、気節の大切さを強調するものでもあります。このような大丈夫の典型的な一人として、前漢王朝の蘇武(そ・ぶ)が挙げられます。漢の武帝の命令で、蘇武は匈奴への使者に任じられました。しかし蘇武は匈奴に捕らえられてしまいます。匈奴の単于(国王)は、蘇武を降伏させようと、時には財宝や地位を与え、また時には辛酸な生活を送らせました。単于は様々な手段を講じましたが、蘇武は一向に動揺せず、節操を保ち続けました。19年の抑留生活を送った蘇武は、ようやく帰国することができました。

「瓦となって全からんより玉となって砕けよ」③は、気節を貫く信念を示します。この信念を示した明王朝の英雄・于謙は、自身を石灰に例え、「骨が粉々になり、身が砕けようとも全く恐れることなく、私は清らかで潔白な生きざまをこの世に残していく」④と詠い、死を恐れず、正しい気節を保ちました。『石灰吟』はまさに于謙の人生を詠う詩となりました。

中国の歴史では、伯夷、叔斉、蘇武、于謙のような先賢は数え切れないほど多くいました。異なる時代や地域によって、気節も異なる意味を持ちますが、死を恐れず、気節を保つ信念と気概は、数千年経っても変わりがありません。

(翻訳・常夏)

註:

①中国語原文:不降其志、不辱其身者、伯夷・叔齊與?(『論語・微子』より)

②中国語原文:富貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈。此之謂大丈夫。(『孟子・滕文公下』より)

③中国語原文:大丈夫寧可玉碎,不能瓦全。(『北斉書‐元景安伝』より)

④中国語原文:粉身碎骨渾不怕,留得清白在人間。

(看中国より転載)