(genjoe / PIXTA)
三国志を解釈する(5)

【三国志を解釈する】(5)劉備は腐れ儒者ではなかったのか?

前章では、黄巾軍が反乱を起こし、張角軍が幽州(注1)の国境に攻め込んできたので、状況は危機的であったということを紹介しました。総督である劉焉は、全県に義勇兵を徴集する召集令状を発行し、その召集令状が涿県(注2)に届いたということです。そこで、劉備が正式に登場することになり、「桃園結義」の物語が始まりました。

劉備の登場について、原作で最初に記述されるのは、彼の品行、性格及び大いなる志です。

原文:「那人不甚好读书;性宽和,寡言语,喜怒不形于色;素有大志,专好结交天下豪杰」。

訳文:「この人は読書が好きではない。言葉が少なく、穏やかな性格で、喜怒哀楽を表に出さない人である。大きな志を持ち、世界の豪傑や英才と親交を結ぶことに専念している」。

ここで漢の景帝のひ孫という皇室の出身や宗族、名前や字(あざな)などを最初に書かなかったことを不思議に思ったことでしょう。

▶ 続きを読む
関連記事
伍孚が董卓の暗殺に失敗し、その場で殺された後、曹操は董卓への討伐を起こし、やがて全国で董卓に対する蜂起が続々と […]
董卓は、摂政を務め、皇帝を侮辱し、都で一般民衆を虐殺することで、公然と民衆の敵、国家の裏切り者の立場に身を置い […]
『三国志演義』においては、王位にありながら実権のない献帝の長い治世の中、定まった統治者と定まらない統治者という […]
呂布に従った陳宮は曹操に捕らえられたが、曹操に降伏せず、死ぬまで後悔しなかった。これは、国に有力な君主がない時、義の果たし方だ
董卓が廃帝を強行したことは、「帝は帝ではなく、王は王ではない」という予言が完全に当たったことを意味します。では、歴史が天命によって定められているのであれば、漢の末期に三国が共存したのはなぜでしょうか。