中国5千年 都市の出現と発展(一)三皇時期
神州の土地は歴史時代の前に上古時代を経験しました。上古時代とは三皇五帝が世を治めていた時代を指します。この時代に登場した人物や出来事は、歴史資料や考古学的な情報が不足しているため、神話や伝説として扱われることが多いのです。
「神話伝説」という言葉を本来の意味で捉えれば、この言い方は間違っているとは言えません。「神話」とは神様が語る言葉であり、口伝えで代々と受け継がれてきたものは「伝説」ではないのでしょうか。当時、中国は確かに人間と神様の共存の時代でした。これらの特別な容姿や優れた才能を持った伝説の人物たちは、もともと人間に特定の技術や知識を教え、人類の文化を築くために神州の土地に来ました。
伝説によると、盤古(ばんこ)は空を開き、女媧(じょか)は人間を創造しました。 盤古は自分の体を山や川に変え、女媧は自分の姿で人間を創り出しました。先人の考えでは、人間も万物も神様によって創ったものだから、人間と天地の万物や高次元の存在との間には一定のつながりがあるはずです。神様の意志に従うことや、自然の法則に従うことによって、この関係を維持することを望むことは、人間の心の願望です。 中国の人々は、古来より「天人合一」の思想を持っていることも、神様に関する記憶によるかもしれません。
人間の世界へ最初に来たのは、有巣氏(ゆうそうし)として尊敬されている神様です。「有巣」という名前の通り、この神様の使命は、人間に木の枝で簡単な家を建てる方法を教えることでした。それ以降、人間は洞窟に住むことに制限されていた生活環境や活動の範囲から解放され、平野に移住するようになりました。
三皇は一般的に燧人氏(すいじんし)、伏羲氏(ふくぎし)、神農氏(しんのうし)を指します。 この「氏」は有巣氏の氏と同様に、後世の人々に尊敬されているという敬称であり、「氏」の本来の意味は天神地祇(てんじんちぎ)の意味です。 三皇の出現は、3つの異なる段階の文明に進んだ人類の進歩を表しています。燧人氏を通じて、人間は火の使い方や食品の調理法を学びました。伏羲氏は魚を捕るための網の作り方や野獣を飼いならして人々に奉仕するように教えました。そして神農氏は作物の栽培や毒薬と薬草の見分け方を教えました。それ以来、人間は狩猟や野生の果物を採集する不安定な食料源の生活状態から解放され、農耕社会に進化しました。
関連する古代書籍の記載が不足しているため、三皇時代の集落状態は、考古発掘の遺跡から推測するしかできません。現代の考古学による先史時代の分類から判断すると、三皇は中・新石器時代(10000~5000年前)頃に出現したとされています。この時代の文化は、家を建てる技術の発明、犬・豚・羊を飼いならすことを学び、漁網・剣・槍・その他の釣りや狩猟道具を作り、陶器の使い始めたなどが特徴です。洞窟住居から離れた先祖は平坦な土地に移住し続け、川沿いの段丘に定住し、その多くは固定的な村を形成し、今まで続けて存在しています。例えば、中国河南省の淇水(きすい)川沿いに存在する15個の現代的な村のうち、11個が新石器時代の遺跡のもとに建てられた村です。また、黄河の中流域に発見された老官台文化(ろうかんだいぶんか)や仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)、及び中国浙江省の河姆渡文化(かぼとぶんか)などは、いずれも新石器時代の遺跡に属しています。
(翻訳編集・啓凡)