極限に活路を開く「坐禅の力」タイ洞窟遭難事故から
座禅は、本来は「坐禅」と書きますが、心を静め、座って行われるので、当用漢字の「座」も許容されています。いずれにしても、精神の安定と集中を得るための、禅宗における基本的な修行とされています。
また、宗派に限らない瞑想と考えれば、例えば、人間が極めて危機的な環境におかれて精神が不安定になりそうな場合、この坐禅(あるいは瞑想)によって精神の平衡をはかり、落ち着いて方策を考え、救助の到来を信じて冷静に待つことで、危機を脱して活路を見出す原動力にもなります。
極限に耐えた「13人の英雄」
2018年6月のこと。タイ北部のチェンライ県にある洞窟で、地元のサッカーチームのコーチ1人と少年12人の計13人が、大雨で増水したため、10数日間にわたり内部に閉じ込められるという大事故が起きました。
「タムルアン洞窟の遭難事故」として知られるこの事故では、救助にあたったダイバー1人が殉職しましたが、タイ本国のみならず、日本をふくむ海外からの救助チームも加わって大規模な救助活動が行われた結果、13人全員を救出することができました。
それは誠に喜ばしい限りですが、ほぼ2週間、水没した洞窟のなかに置かれた少年たちは、大人でも耐えられないような極限状態において、一体どのように精神の安定を保ったのでしょうか。
閉じ込められた13人のうち成人はただ1人、彼らが所属するサッカーチームのアシスタントコーチである、25歳のエカフォル・シャンタオンさんだけ。その他は、11歳から16歳の少年でした。
シャンタオンさんは、仏教僧侶として修行を積んだ経験をもつことから、12人の少年たちに坐禅を指導して、洞窟内で実践させたといいます。
坐禅がもたらした「4つの奇跡」
スタンフォード大学の瞑想研究家、リア・ワイス博士は、この遭難事件において坐禅が人にもたらした「4つの奇跡」について、次のように語りました。
まず、彼らは坐禅によって不安を軽減し、人体の代謝を低下させたことです。
彼らが洞窟に閉じ込められた後、すぐに直面した問題は「十分な空気、きれいな水、食べ物」の全てが不足していたことです。
そうした不足は、精神的不安に直結して、13人に襲いかかってきます。
そのなかで行われた坐禅は、彼らにとって必要不可欠である空気、水、食料を節約するため、全身の新陳代謝を遅くする作用を発揮しました。
それによって彼らは、洞窟に閉じ込められている間、少ない補給で生き延びることができた。これが1つ目の奇跡です。
次に、彼らは状況を冷静に判断することで、あえて「これは長くかかる」ということを自ら受け止めました。坐禅によってパニックを起こさず、自分たちで脱出する穴を掘ろうとした努力をあきらめて、救助隊を待つことに徹しました。これが2つ目の奇跡です。
脳を鍛えて強くする
3つ目の奇跡として、彼らは洞窟内の坐禅によって「脳を鍛えた」ことです。坐禅は、とくに脳のなかの注意力とストレス解消の領域を改善することができるといいます。
ただ無心で座ることにより、集中力が高まり、気が散ることが減ります。それはつまり、平時においては考えられない極限状況のなかで、「脳を鍛えた」ことに相当します。
4つ目の奇跡は、サッカーのチームメイトである彼らは、坐禅を通じて自制心を高め、他者を認めて理解するよう努めたということです。
想像を絶するストレスのなかで、彼らは争いを起こさず、ただ互いを理解し、いたわり合い、励まし合って10数日間を耐え抜きました。このような彼らを「英雄」と呼ぶことに、何のためらいもありません。
坐禅(あるいは瞑想)は、私たちが日常のなかでも行うことができます。
やってみると実感できますが、坐禅によって得られる良質の時間は、私たちの心の痛み、体の痛みを、優しくやわらげてくれるのです。
それは化学的につくられた薬剤よりも、ゆるやかに、のんびりと効くものであるかも知れません。ただ、人間本来の治癒力を取り戻すという意味で、体にかける負担や副作用が非常に少ない処方箋なのです。
「水没した洞窟に閉じ込められる」という経験は、私たちの日常に多くあるわけではありません。しかし、どのような人生においても、心に苦しみや痛みを感じる時はあるものです。
そのような時のために、心を静める坐禅というものを、日常のなかで、やられてみてはいかがでしょうか。
(翻訳編集・鳥飼聡)