神の存在を信じる多くの人は、敬虔な心でお祈りをしますが、しかし、あれこれを考えたり、心配したりなどして、結局は自分しか信じておらず、ひいては、神の按排すら信じていないのです。
2010年4月28日、香港とトルコの考古学者で構成された探検チームが、トルコ東部にあるアララト山の標高およそ4千メートルの地点に、聖書に書かれたノアの方舟の遺跡を発見したと北京で発表しました。探検チームのメンバーは「100%とは言い切れないが、99.9%の確率で発見された遺跡は聖書に書かれたノアの方舟である」とインタビューで語りました。
根拠の一つは場所が一致していることです。聖書によると、大洪水が引いた後、方舟はアララト山の頂上に止まりました。方舟の遺跡の場所は聖書に記載されている場合と一致しています。
もう一つは時間帯の一致です。放射性炭素年代測定によると、今回発見された遺跡は今から4800年前までさかのぼることができ、これは聖書に記載されているノアの方舟の存在時期と一致しています。
更に、外形と内部構造もピッタリ合っていました。方舟の遺跡は、長さ約133.5メートル、幅22.3メートル、高さ13.4メートルで、上、中、下の三階建てで、内部に小部屋が多く設けられています。その中の一つの部屋には、木製の柵、ロープ、陶器、と植物の種と見なされているものもありました。そして、木の梁が付いている部屋もいくつかあり、様々な動物を乗せた船室ではないかと推測され、聖書の記載と一致しています。
聖書の記載によると、エホバはノアに方舟の製造方法を教え、方舟の大きさも決めました。「方舟の長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビトで、方舟の上部には高さ1キュビトの窓を開ける。方舟のドアは側面に開いて、上、中、下の三階建て」でなければなりません。1キュビトは肘から指先までの長さで約45センチです。この換算に基づいて計算すると、方舟の長さは約130メートルとなります。
実際、地元の原住民は「ノアの方舟」の存在を信じています。彼らはアララト山を神と見なし、何世代にも渡って、アララト山に関する伝説を秘密として厳守してきました。13世記の旅行家であるマルコ・ポーロもそこに訪ねたことがあります。マルコ・ポーロは日記に次のように書いています「ノアの方舟はまだある山の頂上に泊まっている」
また、原住民は何世代にも渡ってレンガで家を建てています。標高3500メートル以上になると、かなり寒くなり、人間が暮らすことが困難で、木さえ成長しません。それでは、こんなに巨大な木製の船は一体何処から来たでしょうか?
何千年も前、現代的な交通手段と通信手段を持たないにもかかわらず、世界各地でノアの方舟に似た物語が存在し、多くの国の伝説や歴史には、大洪水の記録があります。現在、西側の多くの国の地理学者や考古学者の考察、衛星の調査によると、古代では、確かに壊滅的な災害が発生しています。つまり世界規模で大洪水が起きたことはすでに確認されているのです。
ノアの方舟と大洪水が確認されれば、聖書の物語は神話ではなく、「神の話」であり、現代の人々が認めなければならない歴史的事実なのです。
(作者 秦順天/翻訳編集 千里)
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