私が授業をしていて一番困るのは、無言の生徒に会うことです。 せいぜい声をかけても首をかしげたり、生返事をしたりする程度で、具体的な学習状況を把握することは困難です。 このような学生は、授業中はとても行儀がよくて素直で、ノートもしっかり取っているように見えますが、試験の結果が出ると、ほとんどが不合格になってしまうのです。
以前、授業中に無言の女の子を見つけたので、母親に声をかけて理由を聞いたことがあります。 母親から聞いた話では、彼女は単身家庭の出身で、幼い頃、両親が言い争う姿を見ていたこと、両親が離婚した後、学校の同級生から離婚家庭として拒絶され、排除されたことがあるそうです。 母親がそれに気づいて受診し、数年前から治療を受けて、今はあえて人に会うようにしていますが、あまりしゃべりません。
どうすればこの子の学習を導いてあげられるのか、私は途方に暮れていました。 1年間、彼女の勉強は全く進みませんでした。 ある時、私は「このままではいけない!」と思いました。
母親からは何も言われませんでしたが、生徒をしっかり教えるのが教師の仕事であり、私はこのままではいけないと思いました。 母親が「この子はまだ教室に来る気がある」と言ったということは、私のことを認めて話を聞いてくれているのだから、学校以外の話をしてみたらどうだろう。
そこで私は、中国の伝統文化の話をすることで、彼女を鼓舞し、心の結びつきを解きほぐすことを始めたのです。
唐宋八大師の一人である欧陽修は、4歳の時に父を亡くし、母・鄭に育てられました。 欧陽修は学校に行ける年齢になっても、家が貧しく、紙や筆を買う余裕もなかったので、鄭は独りで少年に読み書きを教えていました。
ある日、鄭は家の隣の池の縁に荻(おぎ)が生えているのを見ました。また、海岸にたくさんの動物の足跡があるのを見て、荻の草のわらで地面に字を書いてみようと思い立ったのです。
それからというもの欧陽修は毎日、母親と一緒に字を学び、何度も何度も練習しました。そのうち、だんだん、わらで書いた字は凛とした力強い筆致になり、書の大家、蘇軾(蘇東坡)にも「潤った美しい髪のように、美しい」と称賛されえるようになりました。
また欧陽修は母親の影響で読書に夢中になりました。母親は生涯を通じて欧陽修に、父親の誠実さと人々を敬う行為について語り、人々を慈しみ、心優しくあるようにと言っていました。
こうして成長した欧陽修は、24歳で科挙に合格し、北宋の仁宗、英宗、神宗の時代を経て、役人となり、宋王朝でも歴史的な文芸家となりました。
私の話を聞いた後、この女の子は珍しく「欧陽修の周りの子どもたちは彼をのけ者にしたりしなかったの?」と言い、その後、やっと自分の意見を言えるようになったと思ったら、「人がどう言おうが、差別しようが、本人には関係ない。大事なのは、ベストを尽くして生きることだ」と言いました。
私は「母親が一生懸命に自分を育ててくれた姿を見てきた彼にとって、母親からの期待は何よりのものだったんだよ」と言いました。 それを聞いた少女は再び黙り込んでしまいました。
それからというもの、その子は変わり始め、宿題や試験について質問してきたり、授業でわからないことを質問してきたりするようになったのです。 その後、私も時々伝統文化について話すようになりました。 しばらくして、彼女の態度も勉強も大きく変わり、期末試験でも非常に良い成績を収めていることに驚きました。
数年後、その子のお母さんに会った時、そのお母さんは、この子が有名大学に合格したと言って、携帯電話で、二人で旅行に行ったときの写真を見せてくれました。海辺で楽しそうに笑っている女の子でした。
このように自意識過剰な学生は、自分の世界に没頭するあまり、他人とコミュニケーションを取りたがらないので、なかなか打開策が見つからないのです。 この際、焦らず、周りの人を使って自閉症の原因を把握し、ポジティブな話で心を解きほぐし、少しずつ正しい道に導いてあげると、方向性ややる気が出てきて、良い結果が現れるかもしれません。
(翻訳・里見雨禾)
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