【名作随感】『高慢と偏見』――啓発をもたらす19世紀の不朽の名作(上)

久しぶりにジェイン・オースティンの『高慢と偏見』を読み直し、不思議と、今でも多くの啓発を受けました。

初めて『高慢と偏見』に触れたのは、1995年に放送されたコリン・ファースジェニファー・イーリー主演のテレビドラマでした。当時、個性にあふれた人物像と、生き生きした場面、美しい愛情に心を惹かれ、原作ではどのように描かれているのかに興味を持ち、本を購入しました。そして、やはり誰もが言うように原作のほうがもっと面白かったです。

物語は5人姉妹のベネット一家が、間もなく引っ越してくる独身の青年資産家ビングリーを巡って大騒ぎしているところから始まります。

ベネット夫人は、ビングリーに美しい長女ジェーンを娶ってもらおうと、様々な計画を実行しました。ビングリーが連れてきた友人ダーシーもハンサムで、そして、ビングリーよりもお金持ちでした。しかし、地位と若さと資産を兼ね備えたダーシーは同時に高慢でもあり、初対面の時、無意識のうちにベネット夫人の次女、エリザベスの自尊心を傷つけてしまったのです。

それ以来、エリザベスはダーシーに対して強い偏見を持つようになりました。しかしその一方でダーシーはエリザベスに心を惹かれ始めます。物語が波乱含みで進むにつれ、お互いの高慢さと偏見を取り除くには大きな代価と努力を必要とすることが分かります。しかし、2人が徐々に幸せへと向かっているのを見れば、全ての努力は無駄にはならなかったと感じるでしょう。

高慢なのはダーシーで、偏見を持っているのはエリザベスのほうだと思う人が多いかもしれません。しかし良く見ると、「こんなにも高慢で態度の悪いダーシーは、私の夫にはふさわしくない」と思っているエリザベスも実は高慢なのではないでしょうか。そして、ビングリーとジェーンの仲を壊し、2人は釣り合わないと思っているダーシーも偏見を持っているのです。

1813年に『高慢と偏見』がイギリスで刊行されて以来、多くの読者と評論家に愛され続けてきました。この小説は間もなくしてフランス語に翻訳され、後に多くの国に広まりました。そして、今や世界中で最も人気のある小説の一つとなりました。

適度なユーモア

『高慢と偏見』が人気なのには、いくつもの原因があります。その一つが、愛情、家族、友情といった永遠のテーマが面白く描かれているということです。短所や欠点、深刻なことでさえもユーモラスな言葉で描かれているため、読者に受け入れられやすいのです。

例えば、物語の最初のところでこのように描かれています。

「お金持ちの独身青年はきっと妻を娶りたい、これはよく知られた事実だ。例え新しい街に引っ越し、近所の人々がまだその人の性格と考えを知らなくても、この事実はすでに周りの人々に確信され、彼を自分たちの娘が所有する財産として認識している」

この部分から、ビングリーが何を望んでいるかを全く考えておらず、自分たちの利益しか頭にないこれらの家族を、著者オースティンが控えめに嘲笑っていることが伺えます。

そして、物語が進むに連れ、このような態度が大きな煩悩を招くことになるのです。例えば、ベネット夫人は、夫がいなくなると5人の娘が貧困に陥ることを心配して、毎日、いかにして娘たちを嫁がせるかばかりを考えています。

著者は彼女たちの苦境を理解しているので、彼女たちの気持ちやこれからの状況、ベネット夫人の焦燥などを詳しく描写しています。しかし同時に、ベネット夫人の綿密な計画が娘の結婚のチャンスをほぼ台無しにしたことを明らかにしています。

(つづく)

(作者・MADALINA HUBERT/翻訳編集・天野秀)