システィーナ礼拝堂内の壮大な『最後の審判』 (Shutterstock)

【芸術秘話】ミケランジェロの少年時代(上)

1475年3月6日夜8時頃、フィレンツェで一人の男の子が産まれました。赤ん坊の父ルドヴィーコ・ディ・レオナルド・ディ・ブオナローティ・シモーニは、この赤ん坊から、確かに凡人を超えた何かを感じ、その赤ん坊に「ミケランジェロ」(大天使ミカエルの名に由来)と名付けたのです。

幼い頃から、ミケランジェロは絵画に夢中で、まともに勉強しなかったため、良く父親に怒られていました。その後、ミケランジェロは絵を学んでいる友人と知り合い、そして、13歳の時、画家ドメニコ・ギルランダイオに弟子入りしました。

当時、ギルランダイオはフィレンツェの有名な画家でしたが、人々はミケランジェロの作品が師匠のギルランダイオと同レベルのものであることに驚き、ミケランジェロの才能は間もなくして世間に広まりました。

ある日、ある生徒がギルランダイオのスケッチを模写している時、ミケランジェロはギルランダイオのスケッチを直接修正し、明暗をつけました。ミケランジェロの修正は独特の効果を醸し出し、皆を驚かせました。1人の少年が師の作品を修正したのですから、当時のミケランジェロがすでに自分の能力に自信たっぷりであることが伺えます。

ギルランダイオがサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で壁画を描いている時のことでした。ギルランダイオが席を外した時、ミケランジェロがその壁画の前を通り、壁画の中に忙しそうな青年が描かれているのを見て、脚立や様々な道具、上り台などを描き加えたのです。ギルランダイオは戻ってきてから、ミケランジェロの仕出かした事を見て、「私よりも物知りだ」と驚嘆しました。

この時のミケランジェロの作品からはすでに熟達した画家の風格が見られました。ミケランジェロが絵画を学んでいる時は、ただ単に模写するのではなく、自分の観察と悟ったことをも記録していました。

例えばミケランジェロは妖怪の姿を知るために、様々な姿をした魚を買って参考にしたり、自分が気に入った作品が見つかった時は、それを模写し、さらにその画家を超えるよう自分自身に厳しく要求していました。

ミケランジェロの素晴らしい才能と真剣な態度を称賛し、ギルランダイオはミケランジェロを当時のフィレンツェの最大権力者ロレンツォ・デ・メディチに推薦しました。

(つづく)

(翻訳編集・天野秀)

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