モンゴル草原の女王:アラカイ・ベキ(上)

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太祖チンギス・カンの娘であるアラカイ・ベキの生涯は生まれながらにして非凡な運命を辿ることになります。色鮮やかで豪華な花嫁衣装を身にまとい、オングト部の領地に足を踏み入れた時、アラカイのドラマチックな人生はまだ始まったばかりなのです。

モンゴル草原の明珠

アラカイ・ベキはチンギス・カンとその最初の妻ボルテの娘です。高貴な血筋に生まれたアラカイですが、子どもの頃、ちょうど戦乱の真っ只中で、当時のテムジンはまだ尊称を授かっておらず、各部族を統一するために征戦の日々を送っていました。モンゴル人は騎馬民族とも呼ばれ、アラカイはまさに馬に乗りながら育った公主です。

他のモンゴル人と同様、アラカイは幼いころから乗馬と弓術を習い、烈日と風雨に鍛えられなければなりません。また、公主であるため、軍事はもちろん、民を治めるリーダーシップも要求されます。テムジンから受け継がれた鋼鉄よりも固い意志と、ボルテから受け継がれた利発で賢明な美徳により、男に負けない果敢な魂がアラカイを立派な公主に成就しました。

アラカイの本当の波乱万丈な人生の始まりは、1204年の春の終わりの頃からです。テムジンのモンゴル統一の偉業が最後の一歩まで進み、ナイマンとの戦いが始まります。この時、モンゴル草原には3つの大部族が対立していました。テムジンが率いる東側の諸部族、タヤン・カンが率いる西側のナイマン、そして、アラクシ・ディギト・クリが統治している南側のオングト部です。

オングト部はテュルクの末裔で、長年、金王朝に臣服していました。代々中原と北の草原の中間地帯で生活し、金王朝のためにモンゴルやナイマンからの侵略に抵抗してきましたが、金王朝の実力の低下につれ、オングト部は徐々に独立し始め、モンゴル草原の各勢力が取り入るターゲットとなりました。

最初に動いたのはナイマンのタヤン・カンです。アラクシを仲間に引き込んで、テムジンを討とうと説得するため、使者をオングト部に送りました。

アラクシはその場でナイマンの提案を断り、使者を返した後、早速、手下をテムジンのところに行かせ、このことを伝えました。

テムジンは直ちに将官たちを集め、対策を講じます。大半の人は馬が瘦せていて弱いという理由で出兵したくありません。しかし、テムジンの弟は、ナイマンの防衛準備が完成する前に奇襲を仕掛けて、一挙に勝ち取る作戦を立てました。

勇猛果敢な弟を賞賛し、その作戦に賛成したテムジンは直ちに人員配置や作戦の見直しなど、戦いの準備を始めました。出征前、テムジンはオングト部へ向かい、アラクシと「アンダ・フダ」の契りを結びます。二大部族は強大な連盟を結成し、間もなくナイマンに痛恨の一撃を与えます。

アンダはモンゴル語で兄弟という意味で、フダは姻戚です。アラクシはすでにテムジンに追随していくことを決め、テムジンもまたこの盟友を大切にしています。そして、5人の娘の中で、最も聡明で能力のあるアラカイが選ばれました。

(つづく)

(翻訳編集 天野秀)

蘭音