「忘れられた女」【私の思い出日記】
先日、仕事関係者が書類を届けるため、会社の前に車を止めるので、取りに来てほしいと言われしばらく待っていたが、まったく来ない。社に戻って、電話をすると「うっかり忘れて通り過ぎてしまったと(笑い)」。とっさに「私は“忘れられた女”だ」との言葉が出てきて、皆で笑ったが、この“忘れられた女”という言葉は、昔読んだ、マリーローランサンの詩の中の一説の引用である。
もう30年以上も前に、友人が伊藤肇著の『帝王学ノート』をプレゼントしてくれた。ぜひ読ませたいと、書店に一緒に行って購入してくれた本であった。その中の一節に彼女の詩(堀口大学訳)があった。
「退屈な女より もっと哀れなのは かなしい女です。かなしい女より もっと哀れなのは ・・・・・・(中略)」で始まる詩の最後に「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です」という一説があって、その言葉が突然浮かんできたのだ。
早速その本を書棚から取り出して再度ページをめくっていると、プレゼントしてくれた古い友人のこともいろいろと思い出してしまった。
彼は、弁理士としてかなり有名な人だったらしい。たまたまバスの中で隣に座り言葉を交わすうちに、話が弾んで駅についても話が終わらず、電車も一緒に乗り、その後友人となった。彼の事務所にも立ち寄るようになり、同業者や彼の友人達の仲間に入れてもらい、私の後輩を連れて行ったりもした。
初めて事務所を訪ねた時、職員の机を見て、「これだけの従業員にお給料払うの大変ね」と言うと、彼は、「何を言っているの。これだけの人がいるから払えるんじゃないの。」となかば呆れた顔で私を見た。その言葉はずっと私の「名言集」の中に入っている。
その当時勤めていた会社で、私が従業員を代表して、給料を上げてほしいと交渉したら、社長に「僕をこれ以上働かせる気」と言われた直後だったので、本当にその違いに驚いた。「そうか、働いてくれる人がいるから、払えるのだと考えるのだ」と。
しばらくご無沙汰していると、「どうしてる。皆来てるから飲みにおいでよと」電話がきた。数年前、全然連絡がこないので、たまにはこちらからかけてみようと、会社に電話をしたら、「亡くなりました」とのこと。あとは、弁護士になった息子さんが事務所を引きついだとのこと。
本当に驚いたが、彼とはじめて会った時に言った「学生時代から、苦楽をともにした大親友が突然亡くなってしまった。悲しくて、やりきれなくて、寂しくて、心の底から、あの世の市外局番があったら電話をかけたいと思った」という言葉が蘇ってきた。今でも、たまに、その事務所のあったビルの前を通ることがある。天国で大親友に会えたのだろうか。
「安岡正篤の東洋人物学に基づいての人間研究の取材ノートから生まれ財界人エピソード集・伊藤肇著の『帝王学ノート』」を30年ぶりに手にすることができたのは、会社の前で置き去りにされ、忘れられたお蔭であった。