類は友を呼ぶ【1分で読める故事成語】
戦国時代、斉の学士・淳于髠(じゅんうこん)は一日に宣王に7人もの人物を推挙しました。
驚いた宣王は、「人材はなかなか見つからないものだ。しかし、一日で7人も推薦してくるとは、全員に才能があるとどうして信じられようか?」と聞きました。
これに対し、淳于髠はこのように答えました。
「同類の鳥は集まって群れを成し、習慣の似ている獣は行動を共にします。柴胡や桔梗といった山の薬草を湿原に求めても全く見つかりませんが、山に行って探せば至る所に生えています。このように、同類のものは常に一緒に集まり、志を同じくし同じ道を行くものはお互いに集まり群を成すのです」
「王は私を賢士と認めてくれました。人材を私にお求めになるならば、それは水を黄河から汲み取るようなものです。私はこれからも人材をたくさん推挙するつもりです」
淳于髠の話を聞いた宣王は納得したのです。
「類は友を呼ぶ」は、もともと気の合った者や似た者同士は自然に寄り集まるという意味ですが、後に、悪人が互いに手を結び、悪事をなす比喩としても使われるようになりました。
出処 宋・『五灯会元』
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