国を救った西施
敵が攻め入る音が宮殿に響き渡ります。家臣たちは逃げ惑い、負傷した者よりも激しく号泣しています。国王の耳に入るのは、領土が次々と敵の手に墜ちたという報告だけ...。
類は友を呼ぶ【1分で読める故事成語】
「類は友を呼ぶ」は、もともと気の合った者や似た者同士は自然に寄り集まるという意味ですが、後に、悪人が互いに手を結び、悪事をなす比喩としても使われるようになりました。
へ理屈をこねる【1分で読める故事成語】
「へ理屈をこねる」とは、すじの通らない、自分勝手ないい分を言うことです。
高陽応は戦国時代の宋の国の大夫(たゆう/貴族)で、人と弁論することを好みます。理にかなっても、筋が通ってなくても、強弁したがります。
武芸十八般に精通する
中国語においては、高い才能を持つ、多才な人のことを、「武芸十八般に精通する」と表現します。
中国建築上の十の奇跡(三) ―都江堰
現在、私たちは歴史的観点から見ると、次のように結論づけるのは難しくない。各国が覇権を争っていた戦国時代に、秦の軍事力が強くなって中国を統一したことは、歴史の発展法則に従っており、「天意に準ずる」。中国を統一するため、秦は都江堰を築いて天府之国(大穀倉地帯)を手に入れ、霊渠を修築して百越を征服した。正に「天意に従うものが栄える」である。
中国建築上の十の奇跡(二)―万里の長城
万里の長城は春秋と戦国時代に修築が始まった。紀元前214年、蒙恬将軍は始皇帝の命を受け、三十万人の軍勢を率いて、匈奴に迎撃した。秦、趙、魏、燕の国々によって建てられた旧城壁を繋いだ。臨洮から遼東まで何万キロメートルを伸び、それ以来は「万里の長城」と呼ばれた。
中国建築上の十の奇跡(一)―襄陽護城河
中国五千年の文明史の中で、漢民族の人たちは不滅の文化を創造した。それは中国の人々、そして世界の人々に豊富、貴重な歴史の財産を残した。この中で偉大で壮大な中国古代水利プロジェクト、何千年もの間世界の技術を超え、世界の人々に驚かせた。ここでは壮大で美しく素晴らしい歴史的な写真をお楽しみいただけます――襄陽護城河(堀)、都江堰、秦始皇帝の霊廟、霊渠、楽山大仏、敦煌莫高窟、カナート、北京-杭州大運河、北京紫禁城、万里の長城。
戦国時代の猛将廉頗
廉頗(れん ぱ)は、中国戦国時代の趙の国の大将軍で、守備は固く、攻撃すれば必ず功績をあげるといわれた。当時の強国であった秦国でさえ彼を恐れていた。